しゃるのは、毒でございますよ」
龍造寺主計は、そんなことをいうお高をそれとなしに見ていた。お高も、顔を上げて、眼があった。お高は、笑い出した。
「何がそんなに、おかしいのかな」
「あなた様の変わりようでございますよ。ちょっとのあいだに、どこからどこまで、すっかり町人ふうにおなりでございますねえ」
「このほうが、わしの気もちに合うのだ」
「お故里《くに》の方々がごらんなすったら、どんなにかお嘆きなさることでございましょう」
「なあに。もう武士でないわしだから、何をしようと構わぬとあって、結句、よろこぶだろうよ」
「旦那様といい、龍造寺さまといい、どうして結構な御身分をすててすき好んで町人になぞおなりなさるのでございましょうねえ。何ですか、ふかい事情を知らない方は、酔狂のようにお思いになるでございましょうねえ」
「うむ。酔狂といえば、酔狂かもしれぬ。何しろ、気楽だからな」
しばらく、沈黙が占めた。そのあいだ、龍造寺主計は、めずらしそうに、部屋のあちこちを見まわしていた。感心したように、いった。
「やっぱり女のいる部屋は違うな。どことなく、女らしいところがある」
お高は、針を運ぶ手を休めなかった。
「さようでございますかねえ、これでも」
「それに、お高どのは、なかなか手まめで、たしなみがよいから、こういうおなごを嫁に持つ男は、しあわせだな」
「まあ、龍造寺さまは、おひと柄に似ず、お口がお上手《じょうず》でいらっしゃいます」
「いや、あんたに、大きな宿屋の采配《さいはい》をふるわせてみても、面白いであろうと思う。たとえば、掛川の具足屋のような」
「こんにちは、いろいろとおほめをいただきまして――」
お高は、縫っているもので口をかくして、笑った。龍造寺主計は、まじめであった。
「わしは、あす、掛川へ参る」
「ほんと、なみたいていではございません。若松屋さまも、おかげさまで、立ちなおりましてございます」
「いや、わたしこそ、礼をいわねばならぬ。宿場の旅籠の亭主にしろ、何にしろ、わたしという年来の風来坊の腰がすわれば、このうえのことはない。みな、あんたが打ちあけて話してくれたおかげであると、思っておる」
「いいえ。そんなことはございませんが、でも、掛川のほうがうまくゆきますと、よろしゅうございますけれどねえ」
「うまくゆくも、ゆかぬもない。うまくやるようにするのだ。わたしと、若松屋惣七どのと知恵をあわせて」
「そのおことばひとつが、頼みでございます」
「うむ」龍造寺主計は、うなずいて、「若松屋惣七という人物は、知れば知るほど、このましい人物である」
「旦那さまと近しくなすっていらっしゃるお方は、みな様そうおっしゃいますでございますよ」
「いや、そればかりではない。なぜわたしが、若松屋惣七どのに肩を入れるか、あんたには、そのわけがおわかりかな」
「御気性が、おあいなさるのでございましょうよ」
「それもあろう。が、第一の理由は、これまでよくあんたのめんどうをみてきてくれたからだ」
お高は、ぱっと赧い顔になった。身をすくませるようにした。
龍造寺主計は、お高のほうへ、平気な顔をつき出していた。
「お高どの、あす発足《ほっそく》じゃ。その前に、ぜひ一つ、きいておきたいことがある。そのために、ちょっとここへやって来たのじゃが、どうだ、わたしのところへ、嫁にきてはくれぬかな」
龍造寺主計は、お高と若松屋惣七との関係を、知らないのだ。まるで、猫《ねこ》の仔《こ》でももらいうける交渉のような、こともなげな切り出し方だが、ふとい声が、ふるえていた。
六
日本ばし式部小路の磯屋の店だ。いそやと書いた暖簾に陽がにおって、天水|桶《おけ》と柳と、行人と犬の影が、まえの往来に濃いのだ。
ひるさがりだ。磯屋五兵衛が、奥の居間へはいって行くと、そこには、雑賀屋のおせい様のてまえ妹ということに触れこんであるお駒ちゃんが、膝がしらがのぞくほどだらしなくすわって、何か反物をいじくっていた。
はいって来た磯五を見ると、ふたつの眼《まなこ》に媚《こ》びをあつめて、にっと笑ってみせた。
磯五はすぐ、あきらかに不愉快な顔をした。たたみを蹴るように、部屋じゅうをあるきまわって、お駒ちゃんがひろげている反物へ、眼をおとした。
「ちっ! へまばっかりやるじゃあねえか。あきれけえって、口もきけねえや」
かみつくようにいった。お駒ちゃんは、平気の平左だ。
「何がどうしたっていうのさ。いつもいつも、がみがみいうばっかりで、ほんとに、面白くない人って、ありやしないよ――いったい、この反物のどこが気に入らないっていうんだろうねえ」
「どこも、ここもありあしねえ。そっくり気に入らねえんだ」磯五は、何か、炎のような怒りに、つつまれてゆくように見えた。「そんなさばけ
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