そのうちに、龍造寺主計は、痴唖《ちあ》ということになって、龍造寺家から、正式に、主計の廃人届が出された。まもなく、彼は庄内を出奔して、それ以来、こうして、他人のことにあたまをつっこみながら、諸国の山河のあいだに放浪してきたのである。
故郷《くに》では、弟があとをとって、龍造寺兵庫介を名乗っている。金は、いってさえやれば、そこからもいくらでもくるし、江戸の屋敷からもいくらでも引きだすことができるし、ひとのことばかり頭痛に病んで国々をあるきまわっている変人の龍造寺主計だが、金にだけは、苦労を知らないのである。弟というのが、陰に陽に気をつけているのだ。
いま、お高からだんだんと話を聞いてみると、若松屋惣七を助けるためには、この、庄内藩の国家老の家に咲いた変わり花の龍造寺主計が、金を出してやればいいのである。龍造寺主計は、すぐ出してやろうと思った。ただその名義だ。やたらに金を出すというのでは、誇りの高い江戸の人間でしかも武家出である若松屋惣七だ。とても承引《しょういん》をしないにきまっている。
それかといってこの若松屋の店を買いとって、それをすぐそのまま若松屋に返上して、金だけ用立てたようにするのも、見えすいているようで面白くないのだ。その金を出す形式について、龍造寺主計は、あたまを悩ました。
掛川の具足屋について、一伍一什《いちぶしじゅう》を聞いた。それを考えた。若松屋惣七が、この掛川の具足屋で大穴をあけて、そのためにこんにちの破滅を招いたということは、ちょっと合点がゆかないのだ。このことは、うき世離れがしているようで、旅をしていろいろな人間に会っているので、世俗のことに通じている龍造寺主計を、不審がらせた。
それも、お高のはなしで判明した。若松屋惣七は、商人の柄になく、出さなくてもいいところへ金を出したりして、侠気《きょうき》といえば侠気だが、それでいま苦しんでいるというのである。が、ここしばらく持ちこたえていさえすれば、具足屋という旅籠《はたご》が、もうけを上げるようになることは、見えすいているというのだ。龍造寺主計は、考えていた。
「わたしも、ここらでいいかげん、ちょっと落ちついてみてもいいのだ」と、いった。「腰をすえて、若松屋惣七どののように、町人に鞍《くら》がえするも、また面白いかもしれぬ」
冗談でもなさそうだった。そして、つけ加えた。
「それで、若松屋が一時浮かぶ。わしの身も、まず固まる。とならば、両得である。武士というものがいやになっておる点にかけては、わたしも、若松屋に負けぬつもりだ。
しかし、その、きちがいになった東兵衛という男に、出した資金《もとで》をすっかり返してやって、そのうえ、具足屋の借財を一身に引きうけるとは、若松屋惣七という男は、涼しい気性の男だな。いささか涼しすぎると申してよいぞ。若松屋惣七ともあろう腕ききのしたことともおぼえぬが、まず、そうあってこそ、若松屋惣七の若松屋惣七たるゆえんであり、世の中も、面白いのであろうな」
龍造寺主計は、あははと笑った。
四
龍造寺主計は、そのままずるずるべったりに、若松屋惣七方の客となって、四、五日を過ごしたが、毎日のように出歩いていて、お高とも、惣七とも、その後会って、くわしい話を聞くというのでも、するというのでもなかった。
四、五日たって、ぶらりと、奥の惣七の居間へあらわれた。その龍造寺主計は、若松屋惣七のひそみにならって、一思いにさむらい稼業を廃業した龍造寺主計であった。あたまも、いつのまにか、町人ふうに結いなおしていた。着物も、どこでこしらえて来たのか、渋い縞《しま》ものに変わっていた。すっかり、ちょいと、工面のいい商家のあるじのいでたちなのだ。
骨張ったからだにもやわらかみがついて見えた。こわいあばた面も、このあたらしい着つけにそんなに似つかわしくないこともないのだ。ひとかど商戦の古つわものらしく、かえって貫禄《かんろく》をそなえているのである。
本人も、べつに思い切って変わったというところも見えないのだ。けろりとして、部屋へはいって来て、若松屋惣七のまえにすわった。板についていて、ちっともおかしくはない。龍造寺主計自身も、ただ、さばさばした気もちだけで、じぶんのそうした転身など、気にとめていないようすだ。
若松屋惣七は、よく見えないから、早変わりをした相手に、おどろかされることもなかった。
龍造寺主計は、だしぬけにいった。
「この二、三日、掛川宿の具足屋のことを、考えておった。いままであんたがおろした資本《もとで》の半金だけ、あらたにわたしに、出させてもらおう。どうです、ふたりでやってみようではないか」
若松屋惣七は、眉ひとつ動かさなかった。
「龍造寺さまですかい。そんな金があるのですかい」
「やっと調達
前へ
次へ
全138ページ中53ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
林 不忘 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング