たけ》といってな、人はみな、竹女《たけめ》と呼んだ」
「はい」
「若竹という名を、聞いたことがおありかな」
「いいえ」
「江戸までは、届かなんだかもしれん。京大阪では、たいそうな人気であった。何でも、生まれは江戸で、幼少のおりにあちらへまいったとのことであった。江戸の生家は、相当の家であったらしいが、竹女は、何もいわぬから、知れておりませぬ。
 とにかく、上方で芸人として名を成した。一時は、大変なものであった。金も作った。が、そこへ男が現われて、竹女はその男へ、身も心も与えたのだ。この男こそ、義理も人情も人のまこともわきまえぬ、けだもののごときやつであった。それがあの磯屋五兵衛である。当時何と名乗っておったか、覚えておらぬが、顔は忘れぬ。あの男です。
 あの男が、竹女のあとをつけまわして、金をまき上げた。夫婦約束までして、おんなの心を釣っておいた。きょうあすにでも、晴れの式をあげるようなことをいって、女をだましたのだ。外眼《そとめ》にも、竹女はあの男の手足であった。すべていうがままになって、男のためには何でもしたのです。何もかもささげたのだ。病を押してまで働いて、金をみついだ。
 すると、もうこれ以上いつわっておけぬところまで来て、男が打ちあけたのです。じつは、じぶんには、江戸に妻があって、正式に夫婦になるわけにはいかぬという。そう聞かされても、竹女はあきらめきれずに、やはり、取る金を、右から左に男にやっておったものだが、そのうちに男は、江戸から遊びに来ておったおせい様とやらいう町家《まちや》の女隠居とねんごろになって、それとも夫婦約束をしたとわかって、若竹は、何もいわなかった。くびれて、死んでしもうた」
「まあ――?」
「その磯屋五兵衛を、あんたのような潔《きよ》げな女が相識の模様でかばい立てしようとは、思わなんだ」
「あなた様は、その、若竹さまとやらおっしゃる方を、お好きだったのでございますか」
「うむ」
「それから、その男の方は、どうなすったのでございます」
「おせい様と江戸へ舞いもどったと、聞き及んだ」
「あの人が、磯屋のお店を買いとったお金は、そうしてできたのでございますか」
「若竹からは、大金を絞りおったぞ」
「そうして、あの人の手は、女性《おなご》の血に染んでいるのでございますね。あの人は、足でおなごの誠《まこと》に踏みつけて、立っていらっしゃるのでございます」
「あんたは、あの男と、何か特別の関係ででもあるのかな」
「いいえ、そんなことはございません」
「そうか。そんならよいが――」
「あの人はいままた、そのおせい様から、お金をまき上げようとしているのでございます。おおかた、お金をまき上げたうえで、すてるのでございましょう」
「もとより、そうにきまっておる」
「それを、知っていて、黙って見ているよりほかしかたがないのでございます」
「わたしは、強いことは相当強いつもりだが、簡単な男である。話してくれぬことは、わからぬ」
「はい。いずれ、すっかりお話し申し上げますでござります」

      四

 若松屋惣七の居間で、人をよぶ惣七の声がしていた。彼は、いつのまにか起きて、寝間を出て、奥の茶室兼帳場へ来ていた。お高は、いそいそとはいって行って、手をついた。若松屋惣七は、かすんでいる眼を、お高へ向けた。
「お高か」
「はい。高でございます。久しくお眼にかかりませんでございました」
 若松屋惣七は、庭の老梅の幹のような、ほそ長い、枯れた顔を、まっすぐに立てて、きちんと端坐《たんざ》していた。いらいらして、膝をふっていた。膝のまえに、何やら書類のようなものが、四、五枚ちらばっていた。
「泊まり客があるそうだが――」
「旅のおさむらい様でございます。きのうお見えになって、そのままお泊まりになったのでございます。江戸の人をさがすにつけて、旦那さまのお力を借りたいとかおっしゃってでございましたが、磯五さんがわたくしに用があるといって、金剛寺まで呼び出して話をしているところへ来なすって、磯五さんを見ると、それが、その、捜していらっしゃる当の相手でございました。お強そうな、お立派なお武家さまでございます」
 お高は、簡単に、いま聞いた、龍造寺主計が磯五をねらって出府したわけを、若松屋惣七に話した。
 若松屋惣七は、眉間《みけん》の傷痕《きずあと》をふかくして、顔をしかめた。
「いずれ、そういうことであろうと、思っておりました。お前の良人――とは呼びとうない。磯五だ。磯五とは、ゆうべおそく、拝領町屋のおせい様の家で会いましたが、じつにどうも唾棄《だき》すべき人間である」
「はい。それははじめからわかっておりますことでございますが」いいかけて、お高は、はっとした。「すると旦那様は、おせい様があわててお取り立てをおはじめなすったうらに
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