いっていることは、お高にも、想像できた。そのおせい様から、そこにそういう女房がいるのに、その夫は、わたしとこういうことになっていますという眼で見られることは、お高の、女としての誇りが耐えられなかった。このへんのこころもちを、磯五は、承知しているらしいのである。承知して、お高の口からばれることはないと、たかをくくっているに相違ないのだ。お高は、磯五ひとりに会って、おせい様を迷わせて、若松屋さまからお金を取り立てて巻きあげることだけは、よしてもらおうと思った。
 お高は、出がけに帯のあいだへはさんで行った、おせい様の手紙を思い出した。早く現金をそろえて、日本橋式部小路の磯屋五兵衛へまわすようにとある、若松屋惣七にあてた督促状だ。お高は、帯のあいだへ手をやってみた。手紙は、そこにあった。その手紙を、どうしようかと思った。若松屋惣七さまに渡したものかどうかと迷った。
 若松屋さまには見せたくない。見せられないと思ったが、考えてみると、この手紙ひとつじぶんの手で握りつぶしたところで、どうなるものでもないと気がついた。第一、若松屋惣七に、何ごとでも隠し立てしておくのが、お高は、くるしかった。もうお帰りになっていることであろうから、いっそすぐお眼にかけようと決心した。

      五

 お高は、うら口からはいって行った。そこだけは、雲のきれ目から、うす陽がさしていた。佐吉と滝蔵が、傘と足駄《あしだ》をならべて、ほしていた。炭屋が来ていた。炭屋は、切った炭に、井戸から水をくんで行って、かけていた。
 誰も、お高がかえってきたことに、気がつかないようすだ。みんなで大声に、たれかのうわさをしていた。旦那やじぶんのうわさをしているのだと、気まずい思いをさせると思って、お高は、うら庭へはいるとすぐ、声をかけた。
「みなさん、よくお精が出ますよ」
 ふたりの下僕《おとこしゅ》と炭屋は、びっくりして挨拶した。
「おかえんなさい」
「旦那さまは?」
「まだお帰りではねえのです。半刻《はんとき》ほど前から、お客さんが見えて、待っていなさるけれど」
「あれ、お客さまというのは、どなた」
「名はいわねえのです。おっかねえさむれえですよ」
 お高は、若松屋惣七の武士時代の友だちがたずねてきたのだろうと思って、不思議に思わなかった。炭屋の若い衆へ、笑いかけた。
「そうですよ。水をかけておいてくださいよ。火もちがちがいますからねえ」
「火もちがちがいますよ」
「粉炭は、便利ですから、いつもの笊《ざる》へあつめといてくださいよ」
「こな炭は、便利でさ」
 炭屋の若い者は、おなじことを繰りかえしていった。お高は、笑いながら、[#「笑いながら、」は底本では「笑いなが、ら」]家のなかへはいった。ちょっと自分の部屋へ寄って、顔をなおしてから、客が待っているという、中の間の座敷へ行った。そこは、先日、磯五がはじめてあらわれて、このごろのさわぎの発端となった、あの座敷だった。
 お高が、縁側を進んで行って、敷居ぎわに手をつくと、そっちへ足を向けて、大の字なりに寝ころんでいた男が、むっくり起き上がって、あぐらをかいた。それは、龍造寺主計《りゅうぞうじかずえ》であった。
 お高は、びっくりした。龍造寺主計も、不意に現われたお高を、まぶしそうにながめて、つづけさまに、眼《ま》ばたきをした。伸びをした。
「つい眠《ね》たものとみえます。御主人が、おかえりになったのですか」
「いいえ、若松屋さまは、まだおかえりになりませんでございますけれど、御用は、わたくしが、伺っておきますように、しじゅういいつかっておりますでございます。わたくしも、ちょっと他行《たぎょう》をいたしまして、ただいま戻りましたところでございます。失礼をいたしました」
 いいながら、お高は、龍造寺主計を観察した。龍造寺主計は、笠《かさ》と草鞋《わらじ》をとっただけで、旅装束のままである。はだしの指のあいだに、土のような真っ黒なごみがたまっているのが見える。枕《まくら》にしていたらしく、おかしいほど長い、無反《むそ》りの刀が、あたまのほうに置いてあるのだ。汗と陽のにおいが、お高の鼻へただよってくるような気がした。
 お高が、江戸で見慣れている武士とは、全然違った型なのだ。陽にやけた顔に、あばたがいっぱい浮き出ているのだが、お高は、何だか、男らしい立派な人だと思った。
 先方が口を切るのを、お高は待った。龍造寺主計が、いい出していた。ふとい短い頸《くび》から、うがいをするように出てくる声だ。
「留守に上がりこんで、すみませぬ。先ほど江戸へ着いたばかりだ。さっそく若松屋惣七どのにお眼にかかりたいと存じて、推参いたした」
「あの、旦那さまのおしりあいの方でいらっしゃいましょうか」
「あんたは、こちらのお内儀かな?」
 お高は、あか
前へ 次へ
全138ページ中40ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
林 不忘 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング