そう骨身にこたえて、そのうえ氏育ちは、争われませんもので、本人はそのつもりでなくても、やれ、お上品ぶっているとか、いやにお高くとまっているとか、朋輩《ほうばい》衆と、ことごとにそりが合いません。
 いじめられ通しで、泣きのなみだで、それでもお主《ぬし》大事につとめておりますと、どうでしょう。あげくの果ては、あろうことか、あるまいことか、女中どもが寄ってたかって、お駒が、何か御主人のものを盗《と》ったとか、とんでもない濡《ぬ》れ衣《ぎぬ》をきせて、そのために、お仕着せまで取り上げられて、ほうり出されたのだそうです。
 これもみんな、ほかに身寄り葉よりもない、たった一人の妹を、うっちゃっておく気はなくても、まあ、うっちゃっておいた、わたしの罪でございます。さっきこの話を、お駒の口から聞いて、兄さん、わたしゃくやしい、といわれましたときは、すまない、お駒、許してくれ、このとおりだと、思わず、このやくざな兄貴のわたしが、お駒のまえに下りましたよ」

      四

「ほんとにねえ」おせい様は、しとやかに眼をぬぐった。
「いいえ、ですけれど、そんな馬鹿なことって、ありませんよ。これから、一っぱしり藁店へ出かけて行って、お民さんに談じこんでやりましょうよ」
 たちかけるのである。磯五は、あわてた。
「いけません。そんなことをなすっては、いけません。何といっても、お駒が、吉田屋さんへ奉公に上がっていたことのあるのは、事実ですし、それに、過ぎ去ったことではあり、いまとなっては、反証《あかし》の立てようのないことですから――」
「それもそうですねえ。それでは、あの人が、伊万里とかから帰ってきてから、会って、よくいいましょうよ」
「わたしが、三年ぶりに江戸へ舞い戻りましたときは、お駒は、もとの磯屋さんに奉公しながら、仕込みのこつ[#「こつ」に傍点]やなどを呑みこもうと、それとなく見ておりました。おかげをもちまして、わたしが磯屋五兵衛となりましたこんにち、あれの、そのときの下地が、たいそう役に立っているわけでございます」
「ほんとに、あなたといい、お駒さまといい、このおふたりの御兄妹ほど、そろいもそろって、世の中のあら浪《なみ》にもまれたお方は、ござんすまいねえ」
「何だか、わたしも、そんな気がいたしますよ。ふり返ってみますと、生まれてから、おせい様にお眼にかかるまでは、長いながい山みちをあえぎあえぎ登ってきたのだと、しきりに、そんな気がいたします」
 磯五は、膝のうえに両手をさすって、うつむいてそういった。おせい様が、ほっと熱い息をした。それは、羽毛《はね》のかたまりのように、やわらかく磯五の頬に当たって、散った。
 おせい様は、わきを向いて、ほかのことをいった。感情の張り切った声が、かすれて、ふるえているのだ。
「こんど、お駒さんをここへお招《よ》びして、きょうのうめ合わせに、三人で御馳走《ごちそう》をいただきましょうよ。このごろ、いい料理番《いたば》が来ているのですよ。庖丁《ほうちょう》からお配膳《はいぜん》まで、ひとりでしないと気のすまない、面白いお爺《じい》さんでございますよ」
 磯五の顔が、おせい様の顔に、寄って行った。おせい様の胸に、すこし残っている火がいま、おせい様の眼から、燃えぬけているに相違なかった。その、ほらほらと燃えあがる眼に、磯五の白い顔が大きくうつった。この、涼しい瞳《め》をしたやさ男が、そっくりじぶんのものなのだと思うと、おせい様は、胴ぶるいがした。
 中庭のむこうの土蔵の影が、ながく伸びてきていて、座敷のなかは、うす暗かった。磯五は、起って行って障子をしめ切って来た。
 お高は、若松屋惣七が、まだ帰ってきていなければいいと思って、いそいで帰宅《かえ》った。お高は、若松屋惣七へきた手紙のことで、惣七のためとはいえ、勝手に策動して、しかも、失敗したので、こころが重かった。どうしていいか、わからなかった。
 じぶんがおせい様と話しているところへ、磯五と、あのお駒という女がやって来たときに、思い切って、磯五が自分の良人であること、そして、お駒は、磯五の妹でも何でもないことをいってのけることができたら、両方の面皮をいっしょにはいで、それがいちばんよかったのだが、お高は、どうしてもそれができなかったのだが。
 その前から、お高があんなにいったのに、おせい様が、ちっとも信じてくれようとしないから、お高に、その力が出なかったのだ。お高が、身分をうちあけて、生きた証拠を示さない以上、おせい様は、磯五のいうことを真に受けて、お高の言には、はじめから一顧をもあたえないにきまっている。だが、お高は、じぶんが磯五の妻であると、おせい様に知られることは恥ずかしくてたまらなかった。とてもいえないのだ。
 おせい様と磯五のあいだが、ゆくところまで
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