蠅のようなお方――」
「そうだ。貴様は、汚物《おぶつ》のうえにたかる銀蠅《ぎんばえ》を、知っておるか」
「存じております」
「そのぎん蠅と同様に、しじゅう小判の集まるところにぶんぶんいうて飛んでおるやつだ」
おやじは、笑いだしていた。
「それはお武家さま、御無理でございますよ」
「なぜだ」
「なぜと申して、考えてもごろうじろ。きたないものに蠅がたかりますように、お金のあるところに人が集まるのは、当節の風《ふう》でございます。あなた様のようなことをおっしゃっては、江戸じゅうの人間が、みんな小判の蠅でございますよ。そのようなことは、人をおさがしなさいますうえに、ちっとも眼当てになりませんでございます」
おやじも、ひまなので、相手になっているのだが、これを聞くと、龍造寺主計はふわふわと鼻の穴から笑声を押し出して、
「なるほど。いっぽん参ったわい。貴様は、なかなか気骨があるぞ」
ひどく面白そうだ。おやじも、乗り出して来た。
「お武家さま、へっ、思いだしましたよ。ひとり、思い出しましたよ」
「そうか。思い出したか」
「思い出しましたよ――つまり、何でございましょう? ひろくお金を扱って、そのほうで、江戸のあきんど衆に顔の知れているお方、そういうお方が、御入要なんでございましょう?」
「そうだ、そうだ。そういう人物をたよって、行きたいのだ。その、貴様が思い出したというのは、名は何といい、いずくに住まっておるか」
「ようがす。そういうお方なら、江戸に有名なお方がございます。小石川でございます。小石川の上水端に金剛寺というお寺がございます」
「うむ。曹洞派《そうとうは》の禅林である。聞こえた名刹《めいさつ》だな」
「へえ。その金剛寺の裏手でございます」
「うむ」
「若松屋惣七さまとおっしゃるお方で、あのへんでおききになれば、すぐおわかりになりますでございます」
「さようか。かたじけない」
おやじのまえの腰掛けのうえに、ばらばらとたくさんの小|粒《つぶ》がおどった。龍造寺主計は、乞食浪人のように見えるのだ。が、龍造寺主計は、金を持っているのである。内実は、裕福なのだ。
三
磯五が、拝領町屋のおせい様の家へ引っかえしたときおせい様は、おなじ座敷にすわって、ぼんやり庭を見ていた。磯五がはいってくるのを見ると、いそいそ迎えに立とうとした。磯五はてかてか光る顔を笑わせて、まあまあと手で制して、ぴったりおせい様のそばへ行ってすわった。おせい様は、娘のようにはじらいをふくんだ眼で、だまって磯五をみつめた。磯五が、なめらかな声で、いった。
「すこしおそくなりましたので、おせい様は、怒っていらっしゃる」
「いいえ、おこってなんぞおりませんわ。お駒さまはどうなさいました」
「店へ帰って、よくきいてみました。驚きました。あのことはほんとうです」
「ほんとう? ほんとうといいますと、あの、お民さんのおっしゃったことは、みんなほんとうなのでございますか」
「いいえ、みんなではありません。みんなほんとうのことでは、わたしの妹が、泥棒をしたことになるではありませんか。それではあんまりですよ、おせい様。そんなことをおっしゃると、五兵衛は、この可愛いおせい様を、お恨み申さなければなりませんよ」
「あれ、いやでございますよ、つめったりなすっては。ですから、早く、すっかり聞かせて、安心させてくださいましよ」
「すっかりお話しします。五兵衛は、おせい様には、何でも申し上げるのですから」
「そうですよ。それはよく知っていますよ」
「わたしもはじめて聞いたのですが、おせい様、お駒は、可哀そうなやつでございます。わたしの心がらから、おんば日傘《ひがさ》で育ったあいつにまで、えらい苦労をかけました。わたしが京阪《かみがた》のほうに行っているあいだあいつを、この江戸に、ひとりで残しておいたものです。で、まあ、早くいえば口すぎに困ったのでしょう――」
「あの、いたいけなお駒さんがねえ。まあ、おかわいそうに。聞いただけで、おせいは、泪《なみだ》がこぼれますよ」
「はい。そうおっしゃってくださるのは、おせい様だけです。わたしも、きょうというきょうだけは、男泣きに泣かされました――それで、あいつも、背に腹はかえられず、素性をかくして、下女奉公とまで身を落としたのだそうです」
「その住みこみなすった先が、吉田屋さんだったのですねえ。あそこは、大店で、人の住まいが荒そうですし、それにあの、お民さんというお人が、気はいい人なのですけれど、ああいうしゃきしゃきしたお人でございますから、お駒さまも、どんなつらい目をみなすったことか、お察しできますでございますよ」
「はい。それはもう、朝から晩まで、つらいことだらけだったそうで、それに、もともと下女に出る生まれではないものですから、いっ
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