っと」に傍点]眼顔でしかりつけて、やっと押しとめておいたくらいだ。
 それが、今こうしてお民の眼をまともに受けると、お駒は、まるで石になったようだ。つめたく固まって、口もきけないのだ。おせい様も、びっくりしたようすだ。あわてて、いった。
「このお方は、日本橋の磯屋五兵衛さんの妹さんで、お駒さんという人ですよ」
「え? 何ですって? 磯屋さんの妹のお駒さんという人ですって?」
 お民は、叫ぶようにおせい様にいって、それから、くるりとお駒へ向き直った。
「何だい、この狂言は。いやだねえ。お前はお安《やす》じゃないか。間違いだなんて、いわせはしないよ。お前だって、わたしの顔をお忘れじゃああるまい」
 おおぜい奉公人を使って、気の強いお民だ。正面から、お駒を見すえて、きめつけた。すると、不思議なことには、今のいままで、磯屋の店をひとりで切りまわしている、五兵衛の妹お駒として、すっかりおさまっていたお駒が、今もいうとおり、凍ったようになってしまったと思うと、こんどは、顔を、真っ赤に、というよりむらさきにして、たちまちへなへなと折れてしまいそうに見えた。
 おせい様は、何やらいっこうわからないながらも、磯五の手まえをおそれて、いそいで、お民をたしなめにかかった。
「お民さん、何をいうのですね。お安などと、とんでもない間違いをしては、いけませんよ。お民さんがとんでもない人違いのことをいうものですから、お駒さんがあんなに困って真っ赤になっていなさるじゃありませんか」
 お民は、お駒から、眼を離さずに、せせら笑った。
「おせい様こそ、ばかな間違いをしているのですよ。きっと何か、食わせものに引っかかっているのですよ。半年ほど[#「半年ほど」はママ]まえのことですが、わたしゃこのお安の顔は、忘れっこありませんよ。どこで見かけても、一眼でわかりますよ。おせい様、まあ、このお駒さんという人を、よく見てやってくださいよ。これは、お安ですよ。わたしに見つかったものだから、あんなにしょげているじゃありませんか。
 このお安は、うちの下女だったのですよ。いいえ、下女に来て、二、三日お目見|得《え》をしているうちに、お店のお金やらわたしの着物やらを盗んで消えてしまった泥棒女ですよ。お目見得どろぼうですよ。ねえ、お安、お前は、きれいな顔をして、大それた女ですねえ」

      七

 狼狽《ろうばい》と混迷の極から、お駒は、急に立ちなおってきた。すっかりおちつきを取りもどして、しずかに、お民のほうへすわり直した。
「吉田屋さんのお内儀さんでいらっしゃいますか。何かわたしを、お安とかいう女と取りちがえていらっしゃるようでございますが、わたしは、いまおせい様がおっしゃいましたとおり、この、ここにおります日本橋式部小路の太物商、磯屋五兵衛の妹、駒でございます。
 人ちがいもお愛嬌《あいきょう》かもしれませんが、ぬすっとう女だの、お目見得泥棒だことのと、おまちがいにきまっていますからこそ、こうして黙って聞いておりますものの、あんまりなおことばではございますまいか」
「まあ、あきれた。これ、お安、お前は、うちへ住みこんだときも、その口で、わたしをちょろりとだましたんだったね」
「何でございますと? わたしは、その、お安とやらではございません。磯屋の妹の――」
「はい。わかっておりますよ。磯屋の妹のお駒さんに化けこんで――」
「まだおっしゃる。もう一度、お安などとおっしゃると、承知いたしません」
「ええ、ええ、何度でもいいますとも。お安だからお安だというのに、何かさしつかえでもあるのですかね」
「なんてまあ、強情なんでしょう!」
 お駒のようすに、だんだん伝法《でんぽう》なところが見えてくる。今に何をいい出して、地金《じがね》をあらわさないものでもないから、黙って見ていた磯五が、心配をはじめて、いそいで口をはさんだ。
「ええ、これは、吉田屋さまのお内儀でいらっしゃいますか。おうわさは、おせい様からも、しょっちゅう伺っております。手まえが、磯屋五兵衛でございます。ただいま伺いますと、何かとほうもないお人違いをなすっていらっしゃるようでございますが、まこと、これは手前の妹、駒でございまして、お話しのお安さんでもございませんければ、また、どちら様へも、奉公になぞ上がったことはありませんでございます。
 もし強《た》って、そのお安とやらだとおっしゃるんでございましたら、失礼でございますが、何か証拠と申すようなものを、見せていただきたいのでございます。他人の空似というようなことも、往々《まま》あるためしでございますから――」
 ただおろおろしていたおせい様も、これにいきおいを得て、種々口をそえて、お民に、その、間違いにきまっていることを、さとらせようとしている。
 お駒は、くやしいと
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