いたましくて、口まで出かかっても、いえないでいるのである。が、これをいわない以上、おせい様は、お高のことばを取り上げるふうもないのだ。
たとえおせい様が、これでいささかのうたがいを起こして、直接磯五に事の真偽をたしかめるとしても、磯五として、おべんちゃら一つでおせい様を丸め直すことは、すこしもむつかしいことでないにきまっている。そして、おせい様はいっそう、ちかいうちに磯屋のお内儀に迎えられることと信じこんで、ますます矢のような催促を、若松屋惣七へ向けるであろう。
しかたがない。いってしまおうと、お高は思った。
「じつは、わたくしが――」
やっぱり、いいよどんだ。おせい様は、いつのまにか、もとどおりにこにこ[#「にこにこ」に傍点]していた。おだやかに、お高のことばをくり返して、促した。
「はい。あなた様が――?」
「はい。あの、じつは、わたくしが――」
そこへ、さっき取り次ぎに出た十六、七の小女があらわれた。小女は、縁側の障子のかげに指をついて、いった。
「あの、磯屋五兵衛様がお妹さまをおつれになって、お見えになりましてございます」
五
お高は、反射的に、たちあがっていた。おせい様は、入り口の障子のほうに気をとられていた。お高は、そっとおせい様のうしろへまわって、襖《ふすま》をあけて、つぎの間へすべり込もうとした。小碑《こおんな》のあとについて来た磯五が、部屋へはいってこようとしていた。お高は、つぎの間から、ふすまをしめるときに、磯五をちらと見た。磯五は、てかてか光る顔に笑《え》みをみなぎらして、おせい様に挨拶しようとしていた。
お高は磯五のうしろに、派手な色があるのを見た。それが、磯五の妹という女に相違なかった。その磯五の妹という若い女は障子のかげに隠れるようにして、はいることをためらっていた。が、すぐ、磯五に呼びこまれて、障子の隙《すき》から出て、座敷へはいって来た。しとやかに、おせい様に向かっておじぎをした。磯五が、いった。
「たびたびお話しいたしましたが、今まで、ついかけちがって、おひき合わせもできませんでした。これが磯屋の店の黒幕、妹のお駒《こま》でございます」
そのお駒という女は、なるほど磯五の妹といった格の町家の女ふうに、堅気につくってはいるが、そして、おせい様と初の対面というので、せいぜいしとやかに構えてはいるけれど、お高は、その女に見覚えがあった。
それは、あの、式部小路の磯屋のまえの空地《あきち》で磯五と立ち話しているところを、お高が、板囲いのあいだから隙見したことのある、女歌舞伎の太夫上がりのような、大柄な美しい女であった。磯五の妹に化けることを、お高が拒絶したので、磯五は、お高のかわりに、このお駒を妹に仕立てて来たに相違ないのである。
初対面のあいさつをしている。蛇《へび》の膚を聯想《れんそう》させるなめらかな磯五の声がしていた。
「きょうは、このお駒にもお近づきを願いかたがた、本人の口からお礼を申させようと思いましてね、急に思い立って、やって参りましたよ」
「御丁寧に、まあ、ほんとに、五兵衛さんのお妹さんだけあってお駒さんは、お美しいお方でいらっしゃいますこと」
「いつも兄をはじめ、商売のほうまで、いろいろと御厄介になりまして、ありがとうございます。それに、近いうちに、おめでたがございますそうで――」
磯五に劣らない、したたか者らしい声音である。おせい様は、おめでたといわれて、もじもじ磯五のほうを見て笑った。
「兄様が、せっかく親切にいってくださるものでございますから、こんなお婆《ばあ》さんも、そんな気になりましてねえ――それはそうと、あれほど大きなお店を、しめくくっていらっしゃるのは、なみたいていのことではございませんでしょうねえ」
「いいえ、わたくしなんど、ほんとに何もできませんのでございますけれど、さいわい兄が万事に眼を届かせてくれますので、どうやら――」
お駒は、一にも二にも磯五を兄々と立てて、すっかりその妹になりすましている。
ふと、おせい様は、気がついて、座敷のなかを見まわした。
「おや、高音さまとやらおっしゃる、お従妹さんがおいでになっているのでございます。つい今しがたまで、ここにすわっておいででございましたよ。はて、どこへいらしったのでございましょう」
お高は、思いきって、つぎの間から出て行った。じろりとすばやく、磯五をにらんだ。
「こちらで、お掛け物を拝見しておりましたのでございますよ」
磯五の顔を、蒼いおどろきと、怒りが、走りすぎた。が、声は、思いがけないところで、従妹にあったという、愉快な、意外さを示して、ほがらかにひびいた。
「おお、これは、高音か。相変わらず、どこへでも出かけてくるようだな」
「はい。用さえあれば、どこへでも出かけて、
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