ればならないという、自分の決心だけだ。
「わたくしは、あなた様から、どんな憎しみを受けましても、かまいませんでございます。ほんとのことを、申し上げるのでございます。あなた様が、五兵衛さんにだまされておいでなさるのを、黙って見ているわけには参りません。五兵衛さんの女房という女は、決して死んではおりません。生きているのでございます」
「仮に、生きていなさるとしましても五兵衛さまから立派に去り状が渡って、死んだも同然に、きれいに縁が切れているのでございましょうよ」
「いいえ。その縁切り状も、おかみさんのほうはほしがっているのでございますが、どうあっても、五兵衛さんがお出しにならないのでございます。でございますから、まだ立派に、夫婦なのでございます。そればかりか、五兵衛さんは、このごろしきりに、そのおかみさんに帰って来てくれと、頼みこんでいるのでございます」
 おせい様は、ちょっと不思議そうな顔をしたが、またすぐ、もとの笑顔にかえって、
「それは、まことに奇妙なおはなしでございますねえ。あなた様は、そのお内儀さんというお方を、ご存じでいらっしゃいますか」
「はい。お親しく願っておりますでございます」
「ただいま、どちらにおいででございますか」
「はい。ここにおりますでございます」

      四

 いってしまって、お高は、はっとした。これはいけないと思ったのだ。いまおせい様に、自分の身分を知られてしまっては、若松屋の金のほうのことが、かえって面白くないことになるかもしれないのだ。ここは、あくまでも、ほかに磯五の女房というものがあって、それが生きていることにして、じぶんはやっぱり、磯五の従妹ということにしておいたほうがいい。
 これは悪いことをいったと思って、お高が、内心悔やんでいると、都合のいいことには、おせい様は、お高のいった意味をはき違えたのだ。
「こことおっしゃるのは、江戸のことでございますか」
「さようでございますよ。江戸にいらっしゃるのでございますよ」
「江戸にねえ。近ごろは、いつお会いでございますか」
「その、磯屋のおかみさんにでございますか。毎日お眼にかかっておりますでございますよ」
「それでも、五兵衛さまは、三年前に逃げて、まもなく亡《な》くなったと、確かにおっしゃってでございます」
「それが、あの人のうそなのでございます。別居して、江戸にいるのでございます」
「五兵衛さまは、決してうそをおっしゃるような方ではございません。あなたこそ、何かわけがおありになって、そうしてわたしを苦しめようとしていらっしゃるのでございましょう」
 おせい様は、はじめて、すこし激しいことばを用いた。眼のふちが蒼《あお》くなっていた。お高も、くちびるを白くしていた。
「わたくしは、ただ、申し上げなければならないと存じますことを、申し上げるだけでございます。若松屋さまからお金を取りかえして、五兵衛さんへおやりになろうとしていらっしゃるのを、見ていられないからでございます。わたくしも、五兵衛さんが、それほどの悪人であろうとは――」
「悪人というおことばは、いくらお従妹さんでも、ちといい過ぎではございませんでしょうか」
「でも、ちゃんとおかみさんがありますのに、お内儀に迎えようなどと、あなた様をいつわっていますのは、悪人ではございますまいか」
「もしあなた様のおっしゃることがほんとうでございましたら、五兵衛さまは、その、もとの女房の方が、まだ生きていなすって、この江戸にいらっしゃることを、すこしもご存じなく、死んだものとばかり思いこんでいらっしゃるのでございましょう」
「いいえ。五兵衛さんは、おかみさんが江戸にいることを、よく知っていますのでございます。会っていろいろ話をしまして、さきほども申しましたとおり、一日も早く帰ってきて、もとどおりいっしょに暮らしてくれと、五兵衛さんのほうから、話が出ましたくらいでございます」
「いいえ。それは、うそでございます」
「いいえ。ほんとでございます」
「いいえ。うそでございます。失礼でございますが、わたしは、あなた様より、お飾りの数をよけいくぐっておりますでございます。それだけに、殿方というものの見きわめが、はっきりとつくのでございます。もうこのおはなしは、お打ち切りに願いとうございます」
 男というものの判断を誤らないと、おせい様がいうのだ。お高は、笑い出したくなって、自然に口の隅《すみ》が、上へうごいてきた。
 自分こそ、その磯五の女房である――こう一こといいさえすれば、何よりの生きた証拠《しょうこ》として、それが、万事を解決するに相違ないのだ。
 じっさいお高は、何度となく、思い切ってそのことをいおうかと思ったのだが、女同士のこころもちから、磯屋に寄せているおせい様の純真な愛と信《まこと》が、あまりに
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