役を勤める諸侯から吉良へ賄賂《わいろ》を贈ることが、毎年の例になっていて、吉良のほうでも、いつのまにか、今度は誰それがつとめるのだから、およそいくらぐらいは持って来るであろう、と、心待ちするようになっていた。吉良は、その、天瓜冬の砂糖漬に隠された現金の進物を、賄賂とは解釈していなかった。自分に教えを受けるについての、当然の謝礼――挨拶、と周囲から思わせられてきていた。
 添役立花出雲守は、奥州下手渡三万石で、それが百両もはずんだのだから、本役で五万三千石の岡部家からは、まず、五百両は動かないところ、と踏んでいた矢さきに、この扇箱ひとつだった。
「侮辱《ぶじょく》だ。立派な挑戦じゃ――。」
 また独言《ひとりごと》が出た。
「うむ。おれに訊かんでも、饗応方が勤まるという意じゃろう。面白い。勤めてみるがよい。物のたか[#「たか」に傍点]ではないぞ。この無礼な仕打ち――はじめてじゃ。」
「殿様。」平茂が、前の扇箱に眼をつけて、手を伸ばした。「酔興《すいきょう》なお品がこれに。松飾《まつ》がとれますと、扇箱のお払いものはございませんか、って、裏ぐちから顔を出しますな。あれは、買いあつめて、箱屋
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