敵討ものに引きずられて、よりいっそう事件を複雑にし、新奇を求め、刺激を強くするために、眼を覆いたいような惨忍な文章と絵を、つとめて一斉に仕組むようになったのであった。まったくこれでもかこれでもかといった風で中でも最近に出た「復讐熊腹帯《かたきうちくまのはらおび》」京山作、歌川豊広画くなどはまさにその絶頂の観があった。
「私は敵討物はあまり好みません。」
と三馬が答えた。式亭雑記の中にも「おのれ三馬敵討のそうしは嫌いなりしが」とあるとおりである。
「しかし、今も申した米塩《べいえん》のためには敵討ものも書かねえというわけではねえので。」
六樹園は明らかに、嫌な顔をした。三馬は構わずにつづけた。
「当節流行の合巻のはじまりは、あっしの「雷太郎強悪物語《いかずちたろうごうあくものがたり》」でげすが、あれは浅草観音|利益《りやくの》仇討というまくら書きがありやすとおり、敵うち物でげす。宇田川町とは友達でげすので、まあ宇田川町の尻馬に乗ったようなものでげす。かつは西宮にそそのかされて雷太郎強悪物語十冊ものを前後二篇、合巻二冊に分けて売り出しやしたが、これは大当りを取りやしたな。」
ほとんど
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