《たけづか》東子《とうし》の「父母怨敵現腹鼓《おやのかたきうつつのはらづつみ》」であった。
 六樹園はその序を開いて三馬の前に読み上げた。
「今や報讐《かたきうち》の稗史《そうし》世に行われて童児これを愛す。実《げ》にや忠をすすめ孝にもとづくること、索《なわ》もて曳くがごとし。しかしその冊中面白からんことを専にして死亡の体《てい》を多くす。頗《すこぶ》る善を勧め悪を懲すの一助なるべけれど、君子は庖丁を遠ざくるの語あり。」
 その冊中面白からんことを専にして死亡の体を多くす、と六樹園はそこを二度繰り返して読んだ。そして滔々《とうとう》たる悪趣味に身震いせんばかりの顔で三馬を見やった。
 三馬は黙ってにやにやしていた。六樹園が訊いた。
「尊家はこの愚劣なる敵討物にはあまり筆をお染めにならんようでありますな。宇田川町の大人もたしかに才人ではあったが、悪い風を作られたものです。」
 宇田川町の大人とは敵討物の大御所|南仙笑《なんせんしょう》楚満人《そまびと》のことであった。楚満人の作は三百余種もあったが代表作敵討三組盃をはじめそのほとんど全部が仇うち物であった。楚満人が持て囃されてから作者は皆
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