が、この三馬と六樹園の会ったころは合巻の出はじめたころで、その合巻に先鞭をつけたのはじつに三馬その人であった。
こうして長篇全盛の世となるに及んで、作者は競って工夫を凝らし、仇敵討物はますます凄惨な作意に走ってその残酷|面《おもて》を外向《そむ》けしむるものが多かった。洒落を生命としていた巷間の戯作は、江戸風のいわゆる通人生活の描写から、悪ふざけが嵩《こう》じて遊里の評判、時の政道のそれとない批判まで織りこむようになり、寛政度のお叱りにあって一転し、善玉悪玉の教訓物となったが、やがてそれもあかれて今この実説風の敵討物万能となったのである。
六樹園ははじめこの流行に苦笑していたが、あまり度を外した血腥《ちなまぐさ》い趣向立てに、婦女童子に害あり、人心を誤るものという意見で非常に憤慨していた。
「忠臣孝子に思わぬ辛苦を舐《な》めさせ、読む者をして手に汗を握らしむるのはいいが、君子は庖丁を遠ざくと言います。御存じでしょうが、ここに面白いことが書いてある。」
そう言って六樹園は立って行って本箱をしばらく探していたが、やがて一冊の草紙を持って座に帰ったのを見ると、それは文化二年に出た、竹塚
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