しは考証を無視するのが作者の唯一の仕事だとまで思いやすよ。その古典を引証するがごときはあえて精確なるを要しやせん。一、二|仮托《かたく》して可なりでげす。あっしは曲亭のように、余は悪書を作りその代金もて広く良書を購《あがな》うものなりなどと、さような気障なせりふを言って万巻の書を買い集めはしやせんが、自分が著作する刻苦を思えば他書もまたこれを粗略にすることはできやせん。本は大切に扱っておりやすも、見ぬ世の昔のことをよく知り、考証の力あってその考証を乗り越え、考証を考証と見せぬのがまず作者の理想でげしょうな。」
と言った。
六樹園は、下素下人相手の人気取り専門の下らぬ作家とのみ思っていた式亭を、ちょっと見直す気もちになって自ずと対談の心構えが変って来た。
二
草双紙はもう行き詰まったと言われていた。ずいぶん前からそういわれながら、あとから後からと同じような趣向のものが出て、それがかなり消化されて行くところを見ると、まだまだ人気があるに相違なかった。
その筋立は千篇一律である。君父の不慮の死、お家重代の宝物の紛失、忠臣の難儀、孝子の旅立ち、忠僕の艱苦、道中の雲助、大
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