壇画壇のかなり大きな事件となった。
三馬はその性質のせいかよく※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]画家と喧嘩をした。阿古義《あこぎ》物では豊国と衝突して、版元|文亀堂《ぶんきどう》の扱いでやっと仲直りし、この同じ文化七年に同店から出した「一|対男時花歌川《ついおとこはやりのうたがわ》」で再び作者三馬と画工豊国とを組ませて、納めることができたのに、またここに今度は春亭とぶつかってしまったのである。
この「於竹大日」は、安永六年に芝の愛宕で開帳した出羽国湯殿山、黄金堂玄良坊、佐久間お竹大日如来の縁起を材料にしたもので、その時にも青本が行われたのを三馬がいま黄表紙に仕立てたものである。業病、冥府《めいふ》、変化《へんげ》の類が随所に跳梁する薄気味の悪い仇うち物であった。ぞっとするような陰気な絵面ばかりなので春亭もあまり絵筆を持つ気がしなかったほどであったが、それが紛争の因《もと》で、相手が三馬なのでこじれるだけこじれて行った。
版元は鶴喜《つるき》であった。一時|喧伝《けんでん》された奥州佐久間の孝女お竹なる者が生仏として霊験をあらわすという談《はな
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