らず低級な戯作者どもの作品ばかりで「敵討記乎汝」の一篇は脱稿と同時にまるで火をつけて燃やしたようで、てんで存在しないもののごとく何人の口の端《は》にも上らなかった。
 受けないはずはないが、何がたらないのだろうと、六樹園はちょっと悩んだ。結局、これでもまだ程度が高いのだろう、大衆はなんという低劣なのであろうと考えて、それでやっと自らを慰めたが、どこからか敵討記乎汝と自分が言われているようで、当分不愉快でならなかった。

      四

「七役早替。敵討記乎汝」六樹園作、酔放《すいほう》逸人《いつじん》画《が》の六冊物が世に出たのは文化五|戊辰年《ぼしんのとし》であった。
 一方、三馬は六樹園との競作の約束などはすっかり忘れて相変らず本石町新道の家で何ということない戯作三昧《げさくざんまい》に日を送っていた。
 彼は文化[#底本では「文政」]七年に「於竹大日忠孝鏡《おたけだいにちちゅうこうかがみ》」という敵うち物を出して相当のあたりを取った。それは善悪両面と鏡の両面に因《ちな》んだ枕がきのついた七冊続きであったが、画工の勝川《かつかわ》春亭《しゅんてい》と争いを起してここにはしなくも文
前へ 次へ
全25ページ中18ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
林 不忘 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング