ついた。
 それはこの雅言集覧などにはおよそ収録することのできない、巷の埃《ほこ》り臭い言語だと思った。だが、その生活という言葉のどこかに生々しい光沢《つや》があって、それが六樹園に今まで知らなかった新しい光りものを見せられたような感じを起させた。
 はじめから気持が食い違って主客はちょっと気まずい無言をつづけていた。
 ややあって六樹園が言った。
「仇討ち物の流行はどうです。いくら女子供相手の草双紙《くさぞうし》でも、あの荒唐無稽ぶりは私は許せないと思います。睡気ざましの、いや、夜床の中で眠気を誘うための読物だからとて、ああまで時代の考証を無視していいものだとは下拙《げせつ》には考えられませぬ。面白ければいいのだという考えが間違っているのだと私は思う。考証を蹂躙《じゅうりん》しては拙などにはいっこう面白くござらぬ。考証も尊び、面白くもあるという風にはまいらぬものでしょうか。読物としての興味と考証の尊重とが相反するとは私にはどうしても思われませぬが。」
 すると三馬はこんな言葉を吐いた。
「いや、考証を尊んでは面白い物は絶対に書けやせんね。考証と読物の興味とは永遠の喧嘩相手でげす。あっしは考証を無視するのが作者の唯一の仕事だとまで思いやすよ。その古典を引証するがごときはあえて精確なるを要しやせん。一、二|仮托《かたく》して可なりでげす。あっしは曲亭のように、余は悪書を作りその代金もて広く良書を購《あがな》うものなりなどと、さような気障なせりふを言って万巻の書を買い集めはしやせんが、自分が著作する刻苦を思えば他書もまたこれを粗略にすることはできやせん。本は大切に扱っておりやすも、見ぬ世の昔のことをよく知り、考証の力あってその考証を乗り越え、考証を考証と見せぬのがまず作者の理想でげしょうな。」
 と言った。
 六樹園は、下素下人相手の人気取り専門の下らぬ作家とのみ思っていた式亭を、ちょっと見直す気もちになって自ずと対談の心構えが変って来た。

      二

 草双紙はもう行き詰まったと言われていた。ずいぶん前からそういわれながら、あとから後からと同じような趣向のものが出て、それがかなり消化されて行くところを見ると、まだまだ人気があるに相違なかった。
 その筋立は千篇一律である。君父の不慮の死、お家重代の宝物の紛失、忠臣の難儀、孝子の旅立ち、忠僕の艱苦、道中の雲助、大
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