手欲しい時だったので六樹園は雀躍《じゃくやく》せんばかりで、談はすぐ最近の文壇の傾向へ入って行った。
どうせ無頼な戯作者だと六樹園は三馬を卑しめて見ていたが、この男と言葉を交える前に日頃から不審に耐えないと思っている彼の態度についてまずこの機会に訊いてみたいと六樹園は思った。
で、話が進む前に六樹園は切り出した。
「尊家は仙方延寿丹《せんぽうえんじゅたん》、または江戸の水とやら申す化粧水を売り出し、引札を書き、はなはだしきは御著作の中にその効能を広告なさるということですが、真実《ほんとう》ですか。もしほんとうならどういうおこころでそういうことをなさるるかそれを伺いたい。」
三馬は意外だという顔をした。
「さようなことは私ばかりではげえせん。京伝の煙草入れ、煙管《きせる》、近くは読書丸、ともに自ら引札も書き、また作品のなかで広告をいたしておりやす。」
「いや、山東氏は山東氏として、足下のお気持を聞きたいのです。」
「人間は何でも売る物が多ければ多いほど生活《くらし》がよくなりやすからな。延寿丹も江戸の水も、私の戯作も、みなこれ旦暮《たんぼ》の資のためでげす。」
三馬はけろりとして答えた。六樹園は喫驚《きっきょう》して客の顔を見つめた。
「なにごとも生活《たつき》のためと仰せらるる。」
「さよう。大人の御勉強、御著述も、早く言えば生活のためでげしょう。」
「いや、拙《せつ》はさようなことは考えませぬ。拙は文学道のためにのみ筆をとります。」
六樹園は昂然として言った。今度は三馬がびっくりした。
「文学道――さようなものはどこにあるか一度めぐり会いてえものでげす。」
と三馬はにたにたして語をつないだ。
「なるほど、六樹園大人は小伝馬町の名だたる旅亭《りょてい》糠屋《ぬかや》のおん曹子《ぞうし》、生涯衣食に窮せぬ財を擁してこそ、はじめて文学道の何のときいた風な口がきけやす。文を売って右から左に一家の口を糊《のり》する輩は、正直に売文を名乗ったほうがまだ茶気があるだけでも助かりやす。」
ずいぶんものの考え方が違うものだと六樹園は思った。度し難い気がして黙ってしまった。同じ文字のことに携《たずさわ》ってながらこんなに立場が違うのはどういうわけであろうと倉皇《そうこう》のあいだに考えてみた。すると三馬がいま言った生活という言葉が深く自分の心に残っているのに六樹園は気が
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