下げ]
などと、片端から片づけてゆく。そのうちに、鞘を払ったと[#「と」に傍点]ある一刀にじっと見入って、おや! という思い入れ。一座に、さっと真剣の気が流れる。
奎堂は無言で、長いこと凝然とその刀相を白眼《にら》んだ後、ただならぬ面持ちで近くの燭台の下へ急ぎ、灯にかざして改めてとみこうみする。
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
奎堂 (驚愕狼狽の表情で呻く)ううむ!
矢沢 (愕いて)いかが召された。何かその刀に、御不審の点でも――。
奎堂 (はっと心づきたる態)いや、なに――ははははは、何でもござらぬ、ははははは。
[#ここから3字下げ]
強《し》いて笑いに紛《まぎ》らそうとしながら、しきりに首を捻る。
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
奎堂 (まだ刀を見詰めながら、思わず知らず)はてな? よもや――しかし、どう観てもこの線の切れが――(強く自分へ)いや! さようなことのあるべきはずはない。わしの気の迷い、気の迷い――。
[#ここから3字下げ]
恐しそうにその刀を下へ置き、次ぎを取り上げる。
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
奎堂 (虚ろな声で)これは吉相――。
[#ここから3字下げ]
言いかけてまた前の一刀を手にとる。
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
奎堂 うむ! そうだ! たしかに! ――いやいや! わしの眼の曇りであろう。恐しいことじゃ。
[#ここから3字下げ]
投げ捨てるようにその刀を置いて、つぎを取ろうとする。その手は顫《ふる》えている。一同はこの奎堂の異様なようすに、眼を瞠《みは》り、粛然としている。
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
矢沢 (いきなり進み出て、つぎの刀を取ろうとする奎堂の手を押さえる)しばらく! ただならぬただいまのお言葉、気掛りでござる。その刀がいかがいたしました。かまわずお打ち明け下されたい。
奎堂 (ちらりと上座の播磨守を見やって)いやいや、何でもござらぬ。何でもござらぬ。拙者の眼違い、けっしてお気に支《さ》えられぬよう。(と蒼白な顔でごまかして、いそいでつぎつぎに刀を見る)これも吉、これも吉、これは――。
矢沢 久保氏、其許《そこもと》の挙動は、合点がいきませぬ。何かはばかりのあることですか。
奎堂 わたくしもとんと合点がいきませぬ。じつに恐しともおそろしき剣相――いやなに、いや、拙者の見誤りでござる。はは、ははははは。(青白く笑う)
播磨 (じっと奎堂を見つめていたが)奎堂足下、いかなることか、その刀相を述べてみるがよい。
奎堂 おそれながら、君子は怪邪魔神を談《かた》らずとか。久保奎堂、荒唐無稽なることは、君前において申し上げかねまする。その儀は平に御容赦を。
播磨 ははははは、変ではないか。みょうではないか。刀の観相に絶対の自信を有する、当代無二の久保奎堂が、それなる一刀にかぎって荒唐無稽などとは――言えぬとあらば、なお聞きたい。
矢沢 お声掛りじゃ、久保殿。
奎堂 しかし、余のこととちがって、このことばかりは――。
播磨 (気を焦って)言えぬ? どうあっても言えぬか。
矢沢 他言をはばからば、拙者の内聞にまで、さ!
[#ここから3字下げ]
と奎堂の口許へ耳を持って行く。一座はしん[#「しん」に傍点]として、固唾を呑んでいる。奎堂は追い詰められたごとく、やむなく矢沢の耳へ何ごとか私語《ささや》く。矢沢は卒然として色をなし、にわかに恐怖昏迷の体。
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
矢沢 (一同の興味を他へ転ぜんと)なに、そんなことですか。さような微々たる――ははははは、殿、お庭を御覧じませ。美しき下弦《かげん》の月。昼間のお歌のつづきをこれにて。さぞや御名吟が――。
播磨 (脇息を打つ)ええいっ! ごまかそうとするかっ! いま奎堂の言ったことを申せ。余はその刀相が聞きたいのだ。
[#ここから3字下げ]
仕方がないと、矢沢と奎堂は二、三低声に相談して。
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
矢沢 しからば、お人払いを願いまする。
播磨 なにを大仰な! ならぬ! この、一同《みな》のおるところで言えっ。
矢沢 (奎堂へ)御貴殿から言上――。
奎堂 いや、あなたよりよしなに――。
矢沢 しかし、観相なされたのは、貴殿ゆえ、貴殿より申し上ぐるが順当です。
播磨 早く言えっ! 聞こう。
奎堂 (観念して)では、その前にちょっと諸士に伺いますが、このお刀は、どなたの――?
[#ここから3字下げ]
一同顔を見合わす時、人々のうしろからぱっ[#「ぱっ」に傍点]と税所郁之進が飛び出して、呼吸を弾ませて奎堂の前に手を突く。
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
郁之進 (臆病に)わ、わたくしの帯刀でござります。
奎堂 たしかめますが、この多門三郎景光でござるぞ。しか[#「しか」に傍点]とお手前の刀《もの》に相違ありませぬな。
播磨 郁之進の刀か。それがどうした。
奎堂 はっ、おそれながら、これはもっての他の凶相。手前、もはや三十年の余も刀相を観ておりますが、かような悪相は初めてでござりまする。
播磨 ほほう、どう悪い?
奎堂 必ずお気に留められませぬよう――主君に崇りをなす相が、ありあり[#「ありあり」に傍点]と浮かんでおりまする。(座中愕然とざわめき立つ)
播磨 なに、余に仇《あだ》を? 郁之進か――うふ、うふふ、思いあたることが無いでもない。
[#ここから3字下げ]
お加世は殿のかげに、いっそう身を縮める。
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
郁之進 (懸命に殿の前へいざり寄って、平伏する)と、とんでもない! この男は山師でござります。詐欺師でござります。(奎堂へ涙声で)これ! 刀相などと、好い加減なことを並べて、私の刀が殿に崇りをなすとは、む、無責任――め、迷惑にもほどがある! と、取消して下さい! 取消せ!
矢沢 他藩の高名なる大先生なるぞ。取り逆上《のぼ》せるな、郁之進! 言葉を謹しめっ!
奎堂 (郁之進へ)いや、ごもっとも。あなたよりも、私が否定したいのです。鑑識《めがね》ちがいではないか、どうかそうあってくれればよいがと、御覧のとおり、何度見直したか知れぬ。が、見れば見るほど――さよう、明鏡のごとき観相の表を私情で曇らし、白を黒と言うことは、刀相に生くる拙者にはでき申さぬ! この多門三郎景光には、たしかに君を害し奉る相がある。うむ、秘かに殿に害心を抱く刀と観た。
播磨 なに、余に対して害心とな――?
郁之進 (おろおろして)あまりと言えば、あまりな! (播磨へ)殿! 御座興の一端と、お聞き流しを願いまする。奎堂先生はわたくしに、いかなるお怨みがあって、かような――。
奎堂 私心はござらぬ。刀相に現れしところを、そのまま申し述べたまで。
郁之進 いいや! お眼の誤ちでございます。この刀は、祖父から伝来のもので、父|臨終《いまわ》のきわにこれを汝に譲るぞ、この刀をば父と思って殿に忠勤を励めと、くれぐれも申し聞けられました景光にござります。(泣く。涙の眼で奎堂を白眼《にら》む)しかるにこれを指して、口にするだも恐しい、君のお命を縮めまいらす刀相などとは――。
奎堂 (冷然と)凶相じゃ、凶相じゃ。そこもとが何といおうと、凶相じゃ。必ず思いあたることがあろうぞ。
矢沢 (あわてて)久保氏! あなたもまた、何もそんな不吉なことをそう言い張らんでも――。
奎堂 私が言うのではない。刀が語っているのです。相に出ておるのです。それを偽ることはできませぬ。
郁之進 ええ! まださようなことを! (掴みかかろうとする)
播磨 ははははは、よいよい、郁之進。騒ぐでない。相対で話をしよう。これ、皆の者、遠慮せい。
矢沢 しかし、殿。ただいまの奎堂先生のお説もござりますれば、ただお一人にて郁之進めと御対坐遊ばす儀だけは、せつにお思い止まり下さりますよう。
播磨 何を下らぬことを! 郁之進ごときが十人掛かっても、後退《たじろ》ぐ余か。
矢沢 しかし、郁之進の刀は魔物と申すことですから、充分に御注意を。
播磨 みな退れ。加世、そちだけはここにおれ。
[#ここから3字下げ]
家老矢沢、久保奎堂をはじめ、一同は不安げな面持ちで、去る。お刀持ちの小姓も、追い払うように退げられる。後には、播磨守と郁之進。その播磨の陰に震え戦《おのの》くお加世の三人だけになる。
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
郁之進 (問題の多門景光を、どさり[#「どさり」に傍点]と殿の前へ差し出して)この一刀は、なにとぞお手許に――。
播磨 (笑って)近う! 男と男だ――なに、その刀を余の手に。ははははは、いや、それには及ばぬ。
郁之進 (はっ[#「はっ」に傍点]として)男と男――?
播磨 うむ、男と男の相対づくだ。遠慮するな。その凶刀を膝傍に引きつけて話をしろ。
郁之進 殿! そもそも剣相と申すこと、昔は聞きも及びませぬ。いつのころより始まりましたものか、わたくしはさようなこと、一向に信用いたしませぬ。将軍家第一の御宝刀は、本庄正宗のお刀と洩れ承《うけたまわ》っておりますが、元この刀は酒田の臣、右馬助とやら申す者の佩刀で、この刀で右馬助が上杉の本庄殿へ斬りつけましたもの。さすれば、持主に崇った凶相の刀でござります。この悪剣が、将軍家代々の御宝刀とは、いかなる訳でございましょうか。
播磨 (にこにこして)わかっておる。余も刀相などは信ぜぬよ。
郁之進 (がたがた顫えつつ)刀というものは、君を守護し、また一身を守る道具。持ち主の心忠義に存すれば、刀も忠義のために働き、持ち主にして邪念不道なれば――。
播磨 五月蠅《うるさ》いっ! つべこべ言うな。刀相などどうでもよい。余がその刀に事寄せて、そちと二人きりになりたかったのは、じつは、この加世のことだが――。
[#ここから3字下げ]
この時庭からの風で、ふっと燭台の灯一つ二つ消えて、あたり薄暗くなる。
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
郁之進 (独り言のように、陰々と)持ち主にして邪念無道なれば、刀もまた悪しき方へ役立つものと、愚考いたします。
播磨 (乗りだして)邪念無道? いや! なんでもよい。これ! 郁之進、この加世はなあ、この加世は――。
郁之進 (その播磨守の声を耳に入れまいと、呪文のように)いえ、その女めは、失礼ながら殿へ献上仕りましたもの――要は、刀に善悪なくして――。
播磨 ええい、解っておるというに!
郁之進 いいえ! おわかりではござりませぬ。刀に善悪はないのです。帯びる者の心で、凶相にも吉相にもなるのですっ。
播磨 (上機嫌に)よくぞ申した。そうだとも、そうだとも! そちの言うとおり。
[#ここから3字下げ]
起って、ぴたりと郁之進の前へ来て坐る。
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
播磨 刀を見せい。ささその主殺しの相あるという景光を、余は見たい。
郁之進 (恐懼して)いえ! とんでもござりませぬ。さような悪剣と観相されました以上、なにとぞ御免を――。
播磨 大事ない。これ、見せろというに!
[#ここから3字下げ]
と刀に手をかけて、引き寄せようとする。郁之進は必死に刀を押さえて、尻込みする途端、立ちかけた彼の手から、下に向けた柄の重みで、さっと鞘を辷って刀身が流れ出る。
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
播磨 (ぎょっと身を押し反らして)やっ! 抜いたな!
郁之進 (狼狽をきわめて)いえ! 抜いたのではござりませぬ。ひとりでに鞘走りして、これは、何とも申訳ない粗相を――。
播磨 いや、抜いた抜いた
前へ 次へ
全4ページ中3ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
林 不忘 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング