け、いや、第一に己れを欺けさ。なんにしても殿のお手で、あのお加世どのが税所のふところから取り上げられたのだから、こんな痛快なことはない。
吾孫子 いやどうも、何やかやと皆さまをお騒がせして、申訳ありませぬ。が、私は郁之進に気の毒で、あれの顔が見られん仕末で――。
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正面の庭の燈籠に、腰元が灯を入れてゆく。殿の出御近しと知って、三人はいずまいを直す。二つ折りの褥を捧げた侍女がはいって来て、上手に座を設ける。
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稲生播磨守 (廊下を近づく声)ああもう歌などどうでもよい。飽きた、飽きたぞ。
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はいって来て座につく。四十五、六の癇癖の強そうな大名。刀を持った子供小姓、つづいてお加世、侍女三、四、それぞれの席にい流れる。
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播磨 (平伏した三人へ)どうだ、税所の気が知れたかな。(と大欠伸をする)
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お加世はうつ向く。
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池田 恐れながら、かねての殿のお命令《いいつけ》に従い、きやつの胸に探りを入れてみましたところ、まったく異心は無いものと見受けましてござります。
播磨 ふむ、そうかな。いやあたり前だ。異心などあってどうする。
森 身にあまる光栄だと申して、よろこんでおりまする。
播磨 うむ。そうあるべきところだ。ははははは、いや、しごく当然の話だ。(振り向いて)加世、聞いたか。これでそちのその小さな胸も、晴れたであろう。この上は、心置きなく余の寵愛を受けい、なあ。
吾孫子 (ひれ伏して)なにとぞ、末始終お眼をおかけ下されまして――。
お坊主 (次の間の敷居ぎわへ来て)申し上げます。皆様|彼室《あちら》でお待ちかねでいらっしゃいますが、お歌のほうは、もはや――。
播磨 歌はもうよしたぞ。重立った者だけ、こちらへ話しにでも来いと申せ。
池田 では、われわれは――。(と森へ眼まぜして、退《さが》ろうとする)
播磨 いや、苦しゅうない。そこにおれ。
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歌会の席から、家老矢沢某、ほか重役重臣ら二十人ばかりはいってくる。他藩の士も招かれて来ている。
中に、当時刀の観相家として知られた某藩の久保奎堂《くぼけいどう》も混っている。奎堂は五十がらみ、茶筅髪の学者型である。一同が提げ刀のまま入り乱れて席を譲り合いながら、座につこうとする時、ひとりの侍の刀の鐺《こじり》が、他の一人の刀に触れて、かちっ[#「かちっ」に傍点]と音を立てる。
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その一人 おっと! これはこれは、とんだ粗相《そそう》を。なにとぞ御容赦のほどを――。
他の一人 いや、手前こそ、お邪魔になるところへ小長い刀《もの》を突き出しておって、不調法をつかまつりました。平に御勘弁を。
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両士は慇懃《いんぎん》に挨拶して、坐る。
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播磨 や、それがいわゆる鞘当《さやあ》て。いささかの意趣遺恨でもあろうものなら、その鞘当てからいかなる騒ぎになろうも知れぬところを、見事、平らに捌《さば》いた両人の手並み、ちかごろ鮮やか、鮮やか、ははははは。
両人 鞘当てとはどうも、ははははは、それがまた自らなる御座興となって、殿の御感を得るとは。なんなら、いま一度お当て下されい。
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たがいに会釈して笑う。
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座の一人 いや、文字どおりの鞘当てでござりましたて。一時はどうなることかと、はっはっは。
その二 はらはら[#「はらはら」に傍点]いたしました。まさか、ははははは。
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一同爆笑する。
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その三 お、そう申せば、その問題のお鞘は、いかさまお見事なる作りでござるな。卒事ながら、拝見願われますまいか。
刀をぶつけた侍 かようなやくざ[#「やくざ」に傍点]な刀《もの》がお眼に留まるとは、恐縮です。とてもお歴々の見参に供《そな》えるようなものではござりませぬが、お望みとあらば、お安い御用。どうぞ御覧を。
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と人手をとおして、その刀を順送りに渡す。
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受け継ぐ人々 ほほう、小柄《こづか》は祐乗《ゆうじょう》ですな。
おなじく二 糸輪覗き桔梗《ききょう》の御紋は、これは御家紋で?
同三 彫りは、肥後の林重長と観《み》ましたが。
四 いや、お眼がお高い。
五 この鍔は、明珍の誰でござりますな?
所有主 義房作とか、伝えられておりますが、いや、お恥かしいもので。
一見を所望した侍 (受け取って)結構な蝋色鞘《ろういろざや》ですな。失礼ながら、いい時代がついておりますて。ほ! お鍔の彫りは、替り蝶の飛び姿! いや、凝った凝った、大凝りですな。こうなると、ぜひ刀身《なかみ》が拝見したくてぞくぞく[#「ぞくぞく」に傍点]致してまいる。お刀は?
所有主 いや、つまらぬもので。会津でござる。
座の一人 会津と申しますと、兼定《かねさだ》? それとも、三善か若狭守か――。
所有主 兼定でございます。
播磨 初代か。
所有主 はっ。いえ、五代目でござりまする。
刀相家久保奎堂 すると、近江大掾《おうみたいじょう》となった元禄の兼定ですな。
刀を見ている侍 その兼定ならば、定めし大物でしょう。悍馬《かんば》のごとく逸《はや》って、こりゃ鞘当てもしかねますまいて。ははははは、いや、どうせのことに、ちょっと拝見せずにはおられぬ。(懐紙を口に銜《くわ》え、いずまいを正して播磨守に目礼)御免を――。
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一、二寸抜きかける。
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家老矢沢 (あわてて)これ、御前ですぞ。鯉口を拡げるはおそれ多い。御遠慮を、御遠慮を。
抜きかけた侍 (はっ[#「はっ」に傍点]と気づいて)見たい一心に駆られて、つい心づきませんでした。粗忽のほどは、御前よしなにお取りなしを。
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ぱちんと鞘へ返して、手を突く。
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播磨 なんだ。構わぬ。抜け抜け。余も見たい。(矢沢へ)爺い! 余計な口出しして、興醒めな奴じゃ。大名だとて武士だぞ。白刃に驚くか。抜かせい。
矢沢 それでは、お許しが出ましたによって、御自由に。
抜きかけた侍 おそれいりまする。では、御前をも顧みませず――。(作法どおりすらり[#「すらり」に傍点]と抜いて、見入る)ううむ、物凄き作往《さくゆ》き!
隣の侍 やっ、斬れそうですなあ。
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と覗き込む。刀は転々と座をめぐって、人々のあいだに感嘆の呟き起る。
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久保奎堂 (受け取って、じっと刀身を見守る)ふうむ、威といい、品と言い、ちかごろにないよい気もちですなあ。
鞘を触れられた侍 一つ、その兼定に鞘当てされた某《それがし》の刀も、御列座の高覧に預かりたいもので、ははははは。
座の一人 御佩刀《ごはいとう》は?
鞘を触れられた侍 国綱《くにつな》です。
奎堂 粟田口《あわたぐち》。それはまた時代な。いや、今宵は名刀揃いですな、さだめし他の方々も、素晴しいものを帯びておられることでしょう。
矢沢 (はた[#「はた」に傍点]と膝を打ち、播磨守へ)殿にもお聞き及びと存じまするが、これなる久保奎堂氏は、剣相をよくつかまつります。刀の観相きわめて奇妙でござりまして、その効著しく、世上にてももっぱらの[#「もっぱらの」は底本では「もっぽらの」]評判――。
奎堂 いや、これは御家老、よしなきことをお耳にたっしては、拙者が困ります。
播磨 久保うじのことは聞いておるとも。うむ、刀にも相があるということだな。
奎堂 おそれながら、人相家相等と同じく、刀剣にも刀相、剣相というものがござりまして――。
矢沢 これなる奎堂先生は、帯剣の吉凶を相し、腰刀の禍福を試みて、その言い当てるところ、万に一つの誤ちもござりませぬよし。
奎堂 いえ、それは過褒《かほう》と申すもの――。
播磨 一段と興を覚えたぞ。その剣相の達人が幸い一座におるとは面白い。
矢沢 されば、今夕《こんせき》のお慰みに――いや、おなぐさみと申しては、奎堂先生に失礼でござるが、一同の刀を相せしめましてはいかがで。
播磨 奎堂足下、皆の刀を一見して、吉凶禍福を申されよ。
奎堂 それでは、未熟ながら仰せにしたがいまして――。
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と座を改めて、まず播磨守の佩刀を小姓に乞い受け、うやうやしく一覧する。
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奎堂 さすがは太守のお腰の物、領民鼓腹、お家万代のはなはだ吉相、上々吉と観相つかまつりまする。相州《そうしゅう》でございますな。正宗でございますな。まことに御名作で。
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次ぎに家老矢沢の刀を観相し、同じく賞《ほ》める。それより席順に諸士の刀を受けては、相を案ずる。
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奎堂 ははあ、陸奥守包保《むつのかみかねやす》、左文字大銘《ひだりもじだいめい》に切ってござろうな。左陸奥守――いたって吉相。常用差しつかえござらぬ。(つぎの刀を受け取って)うむ、虎徹《こてつ》が出ましたな。これも善相。いや、ちょっとお待ちを――ふうむ、少々|相《すがた》が荒びておりますな。めったに鞘走《さやばし》りいたしませぬように、ちと御用心を。
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つぎつぎに刀を観《み》ていく。一同は帯刀を下げて、交《かわ》る代《がわ》る起って奎堂の前へ行き、相を受けては座に帰る。いつの間にか人々の背ろに、税所郁之進が来て坐っている。それと見て、加世は播磨守のかげに身をすくめる。
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奎堂 これは佐々木一峰の作とお見受けいたす。吉凶あいなかば――次ぎ。筑前利次ですな。素直な相でござる。つぎ――守正でしょうか、安永でしょうかな。可も不可もなし。おつぎは――金道の二代目あたりと観ますが、これはいささか凶相を帯びております。お差料には御遠慮あったほうが、お身のおため――。
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そのたびに、喜ぶ者、頭を掻くもの。笑声、讃嘆の声々湧き、播磨守をはじめ一座ことごとく感じ入る。
正面の庭に、月が昇る。
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末座の一人 (左右を見廻して笑う)後は、この顔触れでは、あまり名刀も出ないようですな。一人ずつ奎堂先生をわずらわすほどのこともありますまい。それでは先生も大変だ。どうです、おあとはこみ[#「こみ」に傍点]にして願っては。
その隣 さようさ。そうすれば、女難の相なぞ現れた場合に、誰のかわからぬから顔を赤らめずにすむというもの。名案名案。
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一同笑い崩れる中に、言いだした侍が起って、残りの十人ほどの帯刀を一しょに集めて、ひとかかえ奎堂の前へ置く。まるで刀屋ですな、などという声がする。
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奎堂 (その一本一本を抜いては手早く観相して)これは吉。これも吉。これは半吉。これはどうも凶ですな。が、むろん。たいした悪相ではござらぬから、けっしてお気にかけぬように――これは吉凶半々。これは大吉です。失礼ながら作はあまりよくはないが、刀相としては大福なので。
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