れを税所が、めでたく中原の鹿を射て、この春いよいよ華燭《かしょく》の典を挙げた時には、なあ森、白状するが、少々|嫉《や》けたなあ。
森 うむ、あの晩は大分あちこちで、自暴酒《やけざけ》をやった士《やつ》が多かった。面目ないが、おれと池田も、じつはその組で――。
池田 (うな垂れている郁之進を覗いて)それほど藩中の羨まれものだった貴公が、あんなに美しい掌中の玉、恋女房のお加世どのを殿に召し上げられたのだ。すこしは口惜しいと思わんか。
郁之進 それは人間自然の情で、口惜しいと思ったこともあるさ。
池田 (森に眼配せして)なに、口惜しいと?
郁之進 うむ、悲しみもした。苦しみもした。だが、その気持ちはみんな去った。今はもう何とも思っておらん。相手は殿じゃあないか。どうにもならん。ははは、いや、どうにもならんというよりは、あんな不束者《ふつつかもの》がお眼に留まって、お側へとのお声がかかり、おれはほんとうに光栄だと思っている。ありがたいと思っている。加世は、謹しんで殿へ献上したのだよ。どうかもう心配しないでくれ。
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突如池田が足を揚げて、郁之進を蹴倒す。
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