墨絵にはなろうが、淡いさびしさだ。
 そのさびしさはやがてはっきりした形をとって、追っても払っても若い守人の胸をむしばむ。
 雲のようにむらがり起こる恋情を、守人はどうすることもできないのだ。
 思う女《ひと》に思われる身は楽しいはず。現世にこれ以上の幸福はないかもしれない。
 しかし、それは、思ってもいい女を思い、思われていい女に思われる場合に限る。思われてならない女に思われ、思ってならない女を思う守人の恋、そこに名刀帰雁でさえ断ち切れない哀愁と苦悩がある。思い思われていればそれでよいではないか、と考えてもみるが、こんなあきらめが何になろう。身と心を一筋に向けるのが恋の情感だ。
 では、この胸の疾風《はやて》に乗って、女のもとに走り、自分を待ちわびているからだを抱いて、心ゆくまで泣こうか。女と二人で泣こうか――。
 なんの五千石、君と寝よ。
 恋はすべてである。
 この水底に大小を沈めて、丸腰の気もすっぱり[#「すっぱり」に傍点]と、前掛けでも締めて世を渡ろうか。
 川風が雨を吹き込む。
 守人は身震いをして、悪夢からさめたように慨然と襟《えり》を正した。
 天下の安危、静かなる
前へ 次へ
全240ページ中97ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
林 不忘 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング