ずもれているあいだに、少壮《しょうそう》の剣客篁守人もこうまで弱気になったのか。
病後のせいもあろうが、彼は近ごろ、毎夜のように故郷の夢をみるのだ。眠りに入るとすぐ、満山の緑|清冽《せいれつ》な小川の縁を、酔っぴて幼児《おさなご》となって駈けまわるのである。
くすぶる火を前に、いつまでもいつまでも守人は庭にたたずんでいた。夕ぐれがはい寄るのも知らずに。
凝った普請《ふしん》だが住み荒らした庵のうち、方来居と書いた藤田東湖《ふじたとうこ》の扁額《へんがく》の下で、玄鶯院がお盆をかむって新太郎をあやしている。
ひところ、匙《さじ》一本で千代田の大奥に伺候したことさえあるので、いまだに相良玄鶯院と御典医名で呼ばれている名だたる蘭医《らんい》、野に下ってもその学識風格はこわ面《もて》の浪士たちを顎《あご》の先でこき使って、さて、何をどうしようというのでもない。
足らないがちのなかに食客《いそうろう》を置いて、こうのんこのしゃあ[#「のんこのしゃあ」に傍点]と日を送っているのだから、確かに変物は変物だ。
食客というと、この新太郎も怪しくなる。独身《ひとりみ》の謹直家だからもちろん実子
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