の空にただよっているのだ。
「いけねえ!」
つぶやいた文次、安を促してあとずさりしようにも、これが不動金縛りというのか、足がくぎづけになって身動きが取れない。
「動くな、逃げようとて逃がしはせぬぞ」
どこからか見ているものとみえて、声は静かにつづける。
「そのほうども何用あって参った。いやさ、誰に頼まれて当屋敷へ踏み込みおった?」
ひしひしとあたりに人体の気を感ずる。四方八方から眼が光っているようだ。迫る鬼気《きき》に呼吸《いき》がかたまって、二人はもう額に汗をかいている。
そこへ、一枚あけ放した戸から、風とともに吹き込むおびただしい桜の花びら――花ふぶきだ。
さらさら[#「さらさら」に傍点]と生あるごとく、畳をなでている。
散る花の命。
文次は手を握りしめた。
二寸、三寸、五寸、むこうの襖が、すべるようにきしむように、見えぬ手によってあきつつある――。
青山夢に入ってしきりなり
「また、春じゃのう」
相良玄鶯院《さがらげんおういん》は、熊手を休めて腰をたたいた。ついでに鼠甲斐絹《ねずみかいき》の袖無着《ちゃんちゃんこ》の背を伸ばして、空を仰ぐ。刷毛《はけ》
前へ
次へ
全240ページ中56ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
林 不忘 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング