桜の林、八重には早いから今が彼岸の花盛りだ。ほめて酒を汲む人もないのに、惜しげもなく爛漫《らんまん》と咲き誇って、さながらうす紅色の綿雲をかけつらねたよう――。
 うっとりとなった二人の頭へ、すぐに眼前の問題がかえって来る。
 文次と安兵衛は顔を見あわせた。
「ねえ親分、ゆうべのうちに夜逃げしたものでしょうかねえ」
「いんや、そんなこたあるめえ。このはり紙がこう古くなるまでにあ、どうみたって二月、三月はかかろう。それに久七だって空家へ荷を入れるわけもねえし、また、ちゃん[#「ちゃん」に傍点]と出て来て受け取った者があるというんだからなあ」
「へえい! 狐《きつね》につままれたような話ですねえ」
「そうよなあ」
 感心とも当惑ともつかない体、二人ともぼんやりして、たがいの顔と表戸のはり紙を見較べているばかり。
 これではきりがないと思ったか、文次は、
「へたの考え何とかといわあ。なあ安、どうだ。屋敷を一まわりしてみようじゃあねえか」
「ようがしょう、何かとび出さねえとも限りやせんから」
「うむ、化け物が巣をくった跡でもあるかもしれねえ」
 玄関から建物にそうて、横手へまわって裏へ出る。亭
前へ 次へ
全240ページ中51ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
林 不忘 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング