た? ううん? これ、無礼者めが! 帰れ、帰れ。帰って閑山に以後出入りかなわぬと申し伝えろ。不敵な奴じゃ」
 文次はここを先途ともみ手をして、
「しかし、間違いでも難癖でもござりません、へえ。あのう、御当家に、お若い美しいお侍《さむらい》さまはいらっしゃいませんでしょうか」
 文次も、眼だけは争われない。鋭い光を増してくる。
「なに? 若い美しい侍とな? 知らん、そんな者はおらん」
「へえ、ごもっともさまで、へえ」
 と、殊勝げに文次が、ぴょこりとおじぎをして顔を上げたとき、いつのまに来たものか、青筋を立てて威猛高《いたけだか》に肩を張っている老用人の背後《うしろ》、陽の届かない薄紫の室内に、煙のようにぼうっ[#「ぼうっ」に傍点]と、糸のように細長い人影が立っている。

   唐流をななめに貼《は》って貸家札

 黒羽二重の着流しに白っぽい博多の帯を下目に結び、左手に大業物《おおわざもの》蝋色《ろういろ》の鞘《さや》を、ひきめ下げ緒といっしょにむんず[#「むんず」に傍点]とつかんで、おどろいたことには、もうその、小蛇のかま首のようなおや指が、今にも鯉口《こいぐち》を切ろうとしているのだ
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