来てみると、いべきはずの安がいない。のみならず、単身饗庭邸に案内を求めると、取り次ぎに出たのが、
「女のような」どころか蟇蛙《ひきがえる》みたいな、久七のお武家とは似ても似つかぬこのごま塩頭だ。
 さすがの文次もいささかあわて気味で、
「あの、こちらは饗庭様の――」
 といいかけるのを、
「いかにもさよう」と引き取った老用人、「いかにも当家は饗庭じゃ。饗庭亮三郎様のお屋敷じゃが、して、お手前は?」
 要を得た呼吸だ。文次はますます下手に出て、
「私は、神田の津賀閑山の店から参りましたが、毎度お引き立てをこうむりまして――」
「黙れ、黙れ」
 突如老人は湯気を上げて怒り出した。
「またしても鎧櫃とやらのことを申して参ったのだろうが、今朝も閑山にしかと申し聞かしたとおり、そのような物は当家においてとんと受け取った覚えがない。一度ならばそのほうかたの思い違いということもあろうと存じ、いずれはわびに参るであろうと大眼に見てつかわしたに、いま二度まで乗り込み来たるとは当家に難癖をつけようの所存であろう。
 第一、そのほうごときは、門番の許しを受けてお裏口へまわるべきに、誰に断わって大玄関へかかっ
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