俺を待つように、あんなにいっておいたのに、それにどうだ、影も形もない!
あれから小半刻、どこをうろついているのだろう。そのあいだに何が持ち出されたかしれやしない。
むっ[#「むっ」に傍点]とした文次、往来の上下を睨《ね》めまわすと、屋敷町の片側通りだ、御府内といえ、一つ二つ横町へそれたばかりなのにもうこの静けさ、庫裡《くり》のように寂寞《ひっそり》としたなかに、八つ下がりの陽《ひ》ざしがやけにかんかん[#「かんかん」に傍点]照り返って、どの家からともなく、美しい主をしのばせぶりに、ころりんしゃん、かすかに琴の音がもれている――。
あてにならない御免安を、いつまで怒っていたところで果てしがないと気が付いた文次は、ふ[#「ふ」に傍点]とわれにかえったように、改めて眼の前の、饗庭の屋敷というのへ瞳《ひとみ》を凝らし出した。
禄高《ろくだか》四百石、当時|小普請《こぶしん》入りのお旗下饗庭亮三郎が住まいである。
一口に旗下八万騎といっても、実数は二万五千から三万人、その中に一万石譜代大名に近い一《ぴん》から槍一筋馬一頭二百石の十《きり》まであって、饗庭はどっちかといえば、まずきりに近
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