あったらいつでも拾う気でいるところへ、その女のことが、
「や! あれ[#「あれ」に傍点]じゃないかしら?」
ぴいん[#「ぴいん」に傍点]と頭へ来たことがあるから、
「そこへ行くのは嬉し野のおきんさんじゃあねえか」
と一つ、時代にぶっつけておいて口裏を引いてみると、女は何にもいわずにまじまじ[#「まじまじ」に傍点]とこっちの顔を見ていたが、そのうち捨て科白《ぜりふ》を残して逃げ出した。しかも女だてらに辻駕籠を飛ばして、神田連雀町の横丁で小器用に抜けやがった。
ううむ、違えねえ。
あれ[#「あれ」に傍点]に相違ねえ。
――浮世小路から帰って来た御免安兵衛、雲母橋際《きららばしぎわ》の裏店《うらたな》に寝そべって、しきりに昨日のことを考えている。
二本の脚を柱へ突っかえて、あおむけのまま、黄色くなった畳のけば[#「けば」に傍点]をむしっているのだが、さすがに戸外《そと》は春、破れ障子にも日影が映えて、瀬戸物町を往く定斎屋の金具の音が手に取るよう――春艶鳥《はるつげどり》の一声、あってもいい風情《ふぜい》だ。
あの女は――と御免安、柄にもない物思いにふけりつづける。
湯屋のを借
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