じろりやられただけで、ぞっと襟《えり》もとから恋風を引き込む。
そうだ、違えねえ。
あの女、あの女、紛れもねえあいつ[#「あいつ」に傍点]だ。
昨日の正午《ひる》、藪《やぶ》の内まで用たしに行ったついでに、祭の景気を見に随身門から境内へはいって、裏手念仏堂から若宮|稲荷《いなり》へかけての人ごみの中を、あわよくば掏摸《すり》の一人も揚げるつもりでさんざ[#「さんざ」に傍点]ほうつきまわった末、かねがね顔見識りの水茶屋嬉し野の床几《しょうぎ》へ腰を掛けると、儲け潮にうるさいやつ[#「やつ」に傍点]が舞い込んだものと思ったらしく、
「おや、親分さん、ようこそお越しでござんした」
親分さん、と来た。そして、看板女《かんばん》のおきんに茶をくませて出したが、その湯呑《ゆのみ》の下に、案の条、二朱包んであった。奴体《やっこてい》に、出盛りの店頭をふさがれてはたまらないから、何にもいわずにわかってもらおうという袖の下だ。心得て立ち上がったとき、ちら[#「ちら」に傍点]と見たのがあの女である。
そこはこっちも八丁堀お箱持ちの端くれ、決してむだに歩いてはいない。こぼれ[#「こぼれ」に傍点]が
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