何か云いかけられはしないかと、こんな気がしてどうしても落ちついた心持になれないのである。
列車は第三十三列車名古屋行、普通車で東京駅を出たのが午前十一時三十五分だった。午後一時すぎ漸《ようや》く国府津についたので私は弁当を買うと同時に、手当り次第に、売子から雑誌を二、三冊買い求めた。そうして箱根のトンネルをくぐっている頃には盛んにその本をあけて見たのだが、しかし、どうしてもある一つの作に身を入れる事が出来なかった。
ここで、読者は、たった一度会って睨み合ったその男を私が何故そう気にするか、という事を疑われるだろう。実際私も早くそれを云いたいのである。書けさえすればいくらでも書きたいのだ。しかし、いざその男に対する気もちを描写しようとするとどうも自分の筆の拙いのを嘆じないわけにはいかない。
一言に云うとその男は、さきにのべたように、ごく平凡な姿ではある。しかし、何といっていいか妙な妖気がただよっているのだ。
一昨夜市電で見た時はそうでもなかったが、今列車の中でよくよく見て居ると私は蛇におそわれたような気分になって来た。否蜘蛛を見た感じにも似て居た。更に又なめくじ[#「なめくじ」に
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