り切れない人間である。
しかし塩町で下車してしまってあそこの雑踏に足を入れた瞬間から私はこの男の事を全く忘れてしまった。もし今列車で再会しなければ一生思い出す筈のなかった顔なのであった。
その男だ。たしかにあの男だ。あの妙な男が今同じ列車に乗って居るのである。
私は今更、雑誌一つ持たずに乗った事を後悔した。元来私は子供の時から汽車に乗って車窓の景色を眺めるのが好きだったが、その趣味は今でも抜けない。それに自宅に居る時は決して勉強家ではないが濫書濫読の癖があるのでたまに汽車旅行などする時は、何も持たず、ぼんやりと車外の景色に見入って居るのを常としている。それが為今日も何も手にせずに乗り込んだのだ。
もっとも東京駅で新聞を二、三買ったが大森を通過する頃にはそれも読んでしまったので、もはや何も見入るものがない。仕方がないから、変な男を気にしながらも車外にうつり行く晩春の景色に見入って居た。
いつもなら、こうして居てもそれにうっとりとなってしまうか、でなければ又何か面白いストーリーの題材が頭に浮かぶのだが、さっきからあの男の事が妙に頭にこびりついてどうしても離れない。
今にも後から
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