した。
「私はそんなアナーキストと関係はない。私は実に神のアナーキストである」と。
 十月二十八日、彼に死刑の判決が下された。医師の鑑定によれば彼は、精神病者ではない。即ち法律上の責任を負うべきものと認められたのである。
 翌年即ち一八九九年一月一日、死刑は執行された。彼はギロチンの前に立って、気を失ってしまった。死刑台の所まで人にかつがれて行かなければならなかったのである。
 ヴァッヘルの如きはたしかに殺人狂の一人であろう。彼の頭が果して責任能力があったかどうかは判らないけれども、彼が最後に法廷で云った言葉「自由にしてくれた医師の犠牲」だと云ったあの言葉はたしかに結果に於いては事実となっていた。
 而もその犠牲は彼以外にも余りに多かったのである。

     二、メネルー事件

 一八八〇年、グロス・カイユーのルー・ド・グルネル一五五番地は、デューという夫婦が住んでいて、二人の間に、ルイズという四歳になる可愛らしい少女がいた。
 四月十五日、デュー夫人は、夫が三週間も前から病気で入院しているのでそれを見舞って買物にまわり帰宅して見ると、ルイズの姿が見えない。
「ねえアンリエッタ! ル
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