れるに至った。
 若し彼が此のままいつまでも病院にはいって居たならば彼の為にも他人の為にも、之から犯すような大きな不幸は起らなかったであろうが、不幸にして――然りまことに不幸な事には、一八九四年の五月一日に、ヴァッヘルは全治せるものとして退院を許されたのである。
 彼は此の時から、「惨劇の浮浪者」となりおおせたのだ。
 一八九六年三月まで、オート・ロアルやコート・ドールなどを浮浪した揚句《あげく》、ついにショーモンまで来たがそこで或る男を殴って捕まり、ボーヂェの刑務所に入れられた。
 ところがこの時までに彼は既に八つの犯罪を行って来たのであったが、その一つも彼に嫌疑がかかっていなかった。
 その中の最後のものは、三月一日に、ドルーという十四歳になる少女を襲った犯罪であった。
 けれども、右に云う通り、彼に嫌疑がかかって居なかったので、四月四日になってヴァッヘルは又釈放されたのである。
 それから再び彼の恐るべき浮浪がはじまりそれがとうとう一八九七年の八月七日までつづいたが、この日彼は殺人未遂の罪で捕まったのであった。
 当時のジュルナール・ド・ヴァランスから記事を抜粋すると次のような事
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