の前に立つてゐたが
権はそれつきり遂ひぞ酒場に来なかつた


[#1字下げ]忠義の犬[#「忠義の犬」は大見出し]

日比谷公園の
広ツ場に
編みあげの赤い靴を穿き
祖母《おばあ》さんに連れられて
美晴子《みはるこ》さんが遊んでる

浅い弱い春の日は
鏡のやうに晴れてゐた

中学生が五六人
テニスネツトを引つ張つて
組に分れて遊んでる
軽くボールはぽんぽんと
向ふにこつちに飛んでゐた

祖母さんは、遠くの方へ退《ひ》つ去つて
腰をかがめて見せてゐる

テニスコートの
向ふから
足の太い、毛の長い
強さうな
犬がさつさと歩《や》つて来た

美晴子さんは、活動の『忠義の犬』を思ひ出し
丸い目をして見て居つた

あの犬も忠義の犬になるか知ら
同じやうに耳も垂れてゐるし
口も大きいし――
美晴子さんは
目をはなさずに眺めてゐる

中学生のラケツトが何《ど》んな途端《はづみ》かぐんと来て
犬の後《うしろ》に落つこちた

犬は走つてラケツトを
口に銜《くは》へて立つてゐる
美晴子さんは
小さな声で祖母さんに
『忠義の犬』の話をした


[#1字下げ]小さな出来事[#「小さな出来事」は大見出し]


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