終つた。たしか河童も酒になつて花外氏の身体をあたためたことだらう。それきり絵は戻つて来なかつた。それは、とにかくとして、牛久で泊つた時、河童の話などしてよけいに印象をつよめたのであつた。
犬田卯氏とは震災の頃、東京で逢つた。たしか私が、「金の星」と云ふ雑誌をやつて居た頃であつた。芋銭先生の話が出たら犬田氏は、
「芋銭先生は知つて居ます。僕は金が無くなると行つては絵を貰つて来ます」
と微笑して居た。恰度新潮社から私の本が出版されるので、芋銭先生に表紙絵を描いて貰へるだらうかと話したら、貰へるかどうか解らないが、頼んでみたらとのことになつて、私から先生へ手紙を出したら、どう云ふ本の表紙か内容を見せてくれとのことであつたが、もう印刷に廻つて居て、取よせることも出来なかつたので、その頃銚子に居た先生の処へ行つてその話をしながら泊つて来た。先生は
「いくらでも描きませう」
と言つて、直ぐ次の日に送つてくれた。この表紙絵は、古代鏡に鶏が鳴いて居た。とてもよくて誰にでもほめられた。さうして居るうちに年が経つて行つた。
千葉県の布川と布佐の間を流れる大利根に橋がかかつた。布川の町は小池赫山と云ふ人
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