であるが、突然私の宅へやつて来て、
「利根に橋がかかりましたから、その唄を書いて下さい。布川町の唄も作つて下さい。芋銭先生をよく知つて居るから、寄附をしてくれた人へ記念のため扇子へ絵を描いて貰つて配るのです。先生の唄の扇子と共に一対にして配りたいのです」
とのことであつた。私は、芋銭先生の絵をけがすといけないからと、お断りすると、絵と字とは違ふから、二本一対にしたいとの希望があつたので、一本は絵で一本は唄で、これは印刷にされて配られた。当時は全然お目にかかる機会がなかつたけれど、かうしたやうに、いろいろなところよりお変りがないことを知つ[#底本では「っ」]てお喜びして居たのであつた。
 私の宅に犬田氏より求めた芋銭先生の色紙と、長井|雲坪《うんぺい》先生の蘭の茶掛とが掛けてある。雲坪先生の絵を芋銭先生はほめて居られたとのことであつた。この雲坪先生を乞食雲坪と言つて居る。なぜ乞食雲坪と云ふかと言ふに、屯《たむろ》して居る乞食を自宅へ連れて来ては「お客さん」と言つて泊めて居た。座敷は乞食で一杯となつて、自分が坐るところがない。ついには勝手のせまい所へ坐して暗い手ランプをつけて絵を描いて居た
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