たとのことで、俳句も上手、絵も上手であると井村氏は語つた。これが第二の芋銭先生の印象であつた。
さうして居るうちに私の詩集「枯草」が明治三十五六年頃刊行されたので、それを知人に送つたのであるが、ただ受取つた位ゐの返事や、送り先きに着いたか着かぬか解らなく返事もくれない人のあつたのに芋銭先生は長い手紙をくれて、あそこはああしたらよいとか、ここはかうすればよくなると言つてくれたので、芋銭先生は親切な方だ、と感じたのが第三の印象であつた。
古河町の人で、竹峡と云ふ人があつた。この人は、私と同じ年頃の人でよく古河へ行つては一二泊したことがあつた。或日
「芋銭先生を訪ねよう」
と言ふと、
「君は先生を知つて居るのか」
と、竹峡氏は言つた。私は、一二度逢つたことがあると答へると、そんならと言つて二人して牛久沼を訪ねた。先生のお宅は沼の辺の農家のやうで、奥さんも畑の仕事からあがつてこられた。その時一泊とまつたか、今ははつきりしない。先生は私達に絵を何枚か描いてくれたので、嬉しく思つてこれを貰つて帰つて来ると、今は病気の詩人児玉花外氏が来て、
「芋銭のか、これは面白い」
などと言つて皆持つて行つて
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