のは……」
などと、それから、いろんな話をした。俳句の話、絵の話、そして、この頃は絵を専門に描いて居ると言はれて居た。芋銭先生は牛久で下車された。これが最初の印象であつた。
 それから、幾年経たか、或ひは次の年位ゐか、はつきりしないが、江野村の井村氏を私は訪ふた。井村氏はよい人で、
「よく来てくれました。それでは俳友を集めよう」
と、私の来たことを人をして知らせたので、三四人直ぐに来たが、その中で透石と言ふ人は非常な俳論家で、子規や碧梧桐等のいろいろな話を聞かせてくれた。井村氏は子規居士の門下で江野村から東京迄歩いて来たのであつた。その井村氏が子規居士の短冊を持つて居られた。

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山吹にふきとばさるる蝶々かな   子規
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 字も結構であり、俳句もよいと思つたので、私は
「その短冊をくれませんか」
と言つたら、
「君がよい句が出来るやうになつたら、その時にあげませう」
などと言つて居られた。その時も小川先生の話が出たが、それによると、私が芋銭先生を知つたより前に井村氏と小川先生とは親しかつた。芋銭先生と井村氏は同じ時代に俳句を始めたのであつ
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