を形成する人にして、其の子信實又引き續き名人たりしかば、こゝに於て日本肖像畫は獨立せる手法を確かに築き上げたり。尤も或人は頼朝・重盛の二幀の如きも、何れを何れとするも辨別し難き程類似せるものにして、個性の表現に乏しく、これを見たる感じは、たゞ當時代の縉紳の類型と言ふものを思ひ出すに過ぎずと批評すれども、それは頗る誤れる見解にして、例へば田舍者が西洋人を見て、どれも、これも同じ顏に見ゆると評する如く、寧ろ評者の鑑賞能力の足らざるを露はす者といふべし。もし其當時の人より重盛像・頼朝像を見たりとせば、其の間に個性の表現を見出すこと難からず、今日に於ても藝術に敏感なる眼より見る時は、其個性の表現を發見するに難からざるべし。妙法院所藏の後白河院宸影は又隆信筆と傳へらるゝ中最も名迹と稱せらるゝ者なり。
 信實には隨分確かなる遺跡もあれば、また信實と稱せらるゝ種々の繪卷もあり、その中にて水無瀬宮にある後鳥羽法皇の御影の如きは尤も有名なるものなり。又『隨身庭騎圖卷』は筆者の名を失すれども、信實ならんかと言はるゝものなり。此卷の中に現はるゝ人物の面相は、各※[#二の字点、1−2−22]當時の實際の人物を
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