日本の肖像畫と鎌倉時代
内藤湖南

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 我國の繪畫が主として支那に起原せる事は勿論にして、支那の繪畫が時代によりて變遷ある毎に我國にも影響せし事は疑なし。其中に於て、肖像畫も殆んど現存の繪畫の開闢期より既に存在せしが、その肖像畫が日本に於て最も發達し、獨得の技倆を發揮せしは果して何時代の頃なりや、これに就ては、史學者、美術史家等の間に既に議論せられし事なるが、こゝに一己の私見を述べんとす。
 其前に少しく日本の肖像畫の變遷の概略を語る必要あり。肖像畫中、最も古く且つ最も有名なるものは、もと法隆寺の所藏にして現に帝室御物たる唐本の御影と稱する聖徳太子像なり。其畫像は、百濟の阿佐太子の筆と傳へらるゝが、勿論これは確據あるに非ず、たゞこの畫が支那の六朝時代の肖像畫の風を傳ふるものなる事は、
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