摸寫したるものにして、個性の表現は遺憾なく現はされたりと考ふ。此等の畫を見て、單に鎌倉時代のありふれたる下臈らしき顏に過ぎず、個性の表現なしとは言ひ得ざるべし。近く佐竹家の賣出しによりて有名となりし三十六歌仙も又信實の筆と言はるゝが、三十六歌仙の時代は區々なるが故に、各その本人を寫生する事は不可能なり、殊に古き時代に出でし歌人は身分も低き人多く、肖像畫を殘す筈もなきを以て、想像を以て畫く外、他の方法なきが、もしこれが信實の如き名人の手になりしとすれば、彼が常に接觸せる實在の人々より、各歌仙に似附かはしきものを思ひ出して畫きしものなるべく、歌仙の肖像畫には非るも、何かモデルのある寫生には相違なからん。
信實の子孫の事に就ては『古畫備考』等にも載せられ、最近には粟野秀穗君が、信海の不動明王圖を研究して、信海は信實の四子なる事を論定せられしものあり、又近年西本願寺にて發見せられし親鸞聖人像は、專阿彌陀佛と云ふ信實の子の筆なりと言はる。此の聖人像は顏面のみを簡素にしてしかも生き/\と表現され居り、服裝等の用筆は極めて粗なり。これもやはり其祖父の隆信と同樣に「似せ繪」畫きなりしやも知れず、尤も
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