を形成する人にして、其の子信實又引き續き名人たりしかば、こゝに於て日本肖像畫は獨立せる手法を確かに築き上げたり。尤も或人は頼朝・重盛の二幀の如きも、何れを何れとするも辨別し難き程類似せるものにして、個性の表現に乏しく、これを見たる感じは、たゞ當時代の縉紳の類型と言ふものを思ひ出すに過ぎずと批評すれども、それは頗る誤れる見解にして、例へば田舍者が西洋人を見て、どれも、これも同じ顏に見ゆると評する如く、寧ろ評者の鑑賞能力の足らざるを露はす者といふべし。もし其當時の人より重盛像・頼朝像を見たりとせば、其の間に個性の表現を見出すこと難からず、今日に於ても藝術に敏感なる眼より見る時は、其個性の表現を發見するに難からざるべし。妙法院所藏の後白河院宸影は又隆信筆と傳へらるゝ中最も名迹と稱せらるゝ者なり。
信實には隨分確かなる遺跡もあれば、また信實と稱せらるゝ種々の繪卷もあり、その中にて水無瀬宮にある後鳥羽法皇の御影の如きは尤も有名なるものなり。又『隨身庭騎圖卷』は筆者の名を失すれども、信實ならんかと言はるゝものなり。此卷の中に現はるゝ人物の面相は、各※[#二の字点、1−2−22]當時の實際の人物を摸寫したるものにして、個性の表現は遺憾なく現はされたりと考ふ。此等の畫を見て、單に鎌倉時代のありふれたる下臈らしき顏に過ぎず、個性の表現なしとは言ひ得ざるべし。近く佐竹家の賣出しによりて有名となりし三十六歌仙も又信實の筆と言はるゝが、三十六歌仙の時代は區々なるが故に、各その本人を寫生する事は不可能なり、殊に古き時代に出でし歌人は身分も低き人多く、肖像畫を殘す筈もなきを以て、想像を以て畫く外、他の方法なきが、もしこれが信實の如き名人の手になりしとすれば、彼が常に接觸せる實在の人々より、各歌仙に似附かはしきものを思ひ出して畫きしものなるべく、歌仙の肖像畫には非るも、何かモデルのある寫生には相違なからん。
信實の子孫の事に就ては『古畫備考』等にも載せられ、最近には粟野秀穗君が、信海の不動明王圖を研究して、信海は信實の四子なる事を論定せられしものあり、又近年西本願寺にて發見せられし親鸞聖人像は、專阿彌陀佛と云ふ信實の子の筆なりと言はる。此の聖人像は顏面のみを簡素にしてしかも生き/\と表現され居り、服裝等の用筆は極めて粗なり。これもやはり其祖父の隆信と同樣に「似せ繪」畫きなりしやも知れず、尤も
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