ら實際世に現はれて居る者と考へたのであります。それで兩部習合説の次に本地垂迹説が起り、その後になつてアベコベに、神を本地として佛を垂迹とした説も起つて來たのであります。それから今度は佛教・神道兩方を一緒にする説が行はれ、更に唯一宗源といふ、これは神道だけで解釋して行かうといふ風に加上したのであります。これらは中古の神道で、平安朝から鎌倉・足利時代までの間に出來た神道であります。その後、徳川時代に王道神道といふものが起つた。これは神道を儒教で解釋したといつてある。これは富永は明白に申しては居りませぬが、易で神道を解釋した伊勢の神主等、又はその後に起つた山崎闇齋が儒教で神道を解釋したことを指すのでありませうと思ひます。これは表に神道を説いたけれども、内面は儒教である。斯ういふ風に段々加上によつて神道も發達して來たのであつて、神道が古い時から傳へられたと云ひますけれども、實は古い事をその儘傳へて居るものでもなく、又古い事が良いからと云つて、今日の生活を昔の質樸な生活、原始的生活に返して、今日の我々の生活に入れられるものでないと云つて居ります。
「翁の文」の新學説
この「翁の文」に特別なこの人の意見が現はれて居る所は、學説に時代があるといふことを説いて居る點であります。昔大變效能のあつた宗教なり禮儀なりも、今日では役に立たないものであるといふ、中々新しい考へであります。これは單に宗教・道徳に國民性が在るばかりでなしに、國民性の外に時代相があるといふことです。近頃時代錯誤といふことを申しますが、そんなことは富永が今から百八十年程前に考へて居りました。それで今日の我々には今日に相當した「誠の道」といふものがあるべき筈であると、斯ういふ事を考へましたので、それで神道・佛教・儒教この三つの外に誠の道といふものがなければならぬ、それが即ち今日實際に役に立つべき所の道徳であるべきであると、斯ういふことを言ひました。これが「翁の文」の大意であります。つまり國民性は時代によつて地方によつて變る、時代によつて學説が變つて來るから、時代によつて相當の學説があるといふことを考へて居ります。今まで富永の議論で知られて居ることは、先づそれだけと言つて宜しいのであります。極く簡單でありますけれども、それだけで隨分この人の卓見といふものが出て居ります。
學問上の研究方法に論理的基礎を置いたといふことが既に日本人の頭としては非常にえらいことであります。その外に宗教・道徳に國民性の區別があり、時代相の區別があると、あらゆる點に注意して居ります。これが我々の非常に尊敬する所以であつて、恐らく日本が生み出した第一流の天才の一人であると言つても差支ないと思ふのであります。
家系と其の攷學
私はこの天才は大阪が生んだ人だといふことを簡單に附け加へたいと思ひます。其處に出してございます拓本の中、一番最初が富永のお祖父さんお祖母さんの碑であつて、徳通といふのが仲基の親であります。この「翁の文」の序文などから考へますると、ヒヨツとするとこの人の先祖は播州から出たのではないかと考へられます。播州といふ處は妙に大阪に於ける町人學者を多數出しまして、私がやはり嘗て懷徳堂で講演しました山片蟠桃といふ人も播州の出身であります。富永の先祖も播州から出たのではなからうかと思ふのであります。父からは既に大阪に住まつて、仲基は大阪に生れた生粹の大阪つ子に相違ないのであります。この人には兄弟がありまして、其處にある毅齋居士といふのがその兄であります。それは腹違ひの兄弟で、母の碑文が其處にあります(陳列の拓本を指す)、それが仲基の生みの母でありまして、その仲基と兄毅齋との間にもう一人あつたが、その人の名前も分らず、はつきりしたことは分りませぬ。富永の生みの母は三人の男の子を生んで居りまして、皆學問が出來たやうです。二番目が池田に養子に行つた荒木蘭皐、三番目が眞重、通稱は何と云つたか分りませぬ。これも學問が出來て、此人の書いた漢文に荒木蘭皐の集の序文があります。仲基の親は實名は徳通、號は芳春といふ人で、相當の學者でありまして、即ち懷徳堂を起しました五同志の一人で、淀屋橋尼ヶ崎町と申しました今の北濱邊でありませう、其處で道明寺屋吉左衞門といふ醤油屋であつた。その家を繼いだのは仲基の兄毅齋であります。仲基は通稱を何んと云つたかはつきり分りませぬが、近頃淡路の國から仲基の「翁の文」の寫本が出て參りました、それは富永と同時代の學者で仲野安雄といふ人が寫して居つたもので、それに翁の文の著者は「道明寺屋三郎兵衞」と書いてありますから、それが通稱であらうと思ひます。
それで若い時から聰明であつたに違ひなく、懷徳堂主の三宅石庵に就て學問を稽古した。その内、「説蔽」といふ儒教を攻
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