撃した本を書いて、石庵から破門されたと言ひ傳へてありますが、「池田人物誌」に西村天囚君の説を引いて、石庵の死んだ時富永は十五六であらうから、著述したにしても破門されるといふことはあるまいと書いてありますが、成程それが尤もであらうと思ひます。この三宅石庵から破門されたと言ひ出したのは佛教者の言ひ傳へであつて、佛教者が富永の惡口を言ふために、いろ/\の事實を捏造して居ることがあるやうです。富永が佛典を讀んだのは、黄檗板の藏經――今でも一切經の版木がありますが、それは富永より六七十年前に鐵眼の作つた版木であります、その版木を校合するため富永が傭はれて居つて、それがために佛教を學んだのであらう、それから佛教の惡口の本を書いたから、大變佛教の恩に背いて居ると、慧海潮音といふ眞宗の坊さんが書いてゐます。之と同じ話で段々異部名字式に變つて來た話でございますが、矢張り淨土宗の坊さんが書いた「大日比三師講説集」といふ本がありまして、富永は佛教の惡口を言うたので到頭癩病になつた。それから大變後悔して、坊さんを頼んで「出定後語」の版木を燒棄て、阿彌陀經千卷を書いて懺悔したけれども何等の驗しがなく、到頭癩病で死んだといふことが書いてあるのです。これは文化文政頃富永の惡口が盛んに行はれて、坊さんが富永に對し酷く反感を持つた時分の言ひ傳へであります。石庵に破門されたといふのも、其時の言ひ傳へでありますから、どれだけ之に信用を置いてよいか餘程疑問であります。但し黄檗山で藏經を見たといふ、これは事實だらうと思ひます。富永の作つた詩の中に、自分の家庭の面白くないことが書いてある。これは恐らく自分の母が兄に對して繼母である關係ではないかと想像されるのでありますが、しかしお母さんといふ人が非常な賢婦人であつたらしいのであります。お母さんの碑文といふものは、多分仲基の弟荒木蘭皐が書いたのでありませう。兎も角何か家庭に面白くない事情があつて、富永が一時自分から家を出て居つた、その間に黄檗に行つて居つたのかも知れませぬ。その時藏經を讀んだのだらうといふことは想像されるのであります。その外に多く佛教者から出た惡口は信用出來ませぬ。それから「出定後語」の版木を燒棄てたといふのは全く嘘でありまして、その後になつて平田篤胤がこの本を搜した時に、大阪の何處かの本屋の藏の隅から版木を漸く見付けて刷り出したといふことを書いてありますから、版木を燒棄てたといふのは全く嘘であります。佛教者は妙に人の惡口を言ふ時には、口ぎたない言辭を用ふるものでありまして、たゞ無闇に聲を大きくして人を罵るやうなことをする。これは甚だ感服仕らぬのであります。

       獨創的識見

 この「出定後語」、「翁の文」のえらいことについて、私は色々の處で講演いたしたのでありますが、富永の書のえらいことは、最初は國學者の本居宣長によつて發見されて、「玉勝間」に書かれたのであります。それを見た平田篤胤が、それから本を搜し出して、「出定笑語」といふ本を書きました。我々はそれを讀んでからこの本を知り、更に「出定後語」を讀んだ譯でありますが、その當時から富永が幾らか人々に注意されたものと見えまして、殆ど富永と同時代でありました湯淺常山が「文會雜記」といふ本に富永の本を批評しまして、佛教の事を一通り知るのには「四教儀集解標旨鈔」といふ本があつて、それを讀むと大體佛教の大意は知られるといふ、それで「出定後語」はこれから見出したといふやうなことを或人が言つたといふことを書いて居ります。私もこのことを若い時に見まして、「四教儀集解標旨鈔」を搜して見ましたところが、この「四教儀集解標旨鈔」といふ本の著者は仙臺に居つた梅國といふ坊さんであつて、大變博學な佛教學者でありますけれども、富永が之によつて佛教の事を見出したといふことは全く嘘であります。それは「四教儀集解標旨鈔」を碌に讀まず、「出定後語」も碌に讀まない人の批評であります。存外昔の人の批評といふものも注意しなければならぬものだと、三十年も前のことでありましたが考へたことがあります。
 つまり富永の佛教批評といふものは、全く自分の獨創的な見識、獨創的の天才から出たのであります。何か人に教へられた、人の著述によつて思ひ付いたといふやうな、そんな詰らないものではないのであります。「翁の文」なんぞも、猪飼敬所程の學者も感服したと見えまして、之を讀んで大變えらいといふことを書いて居ります。それで私共長い間この本を搜して居つたところ、偶然昨年の春まで大阪外國語學校の教授をして居つた龜田次郎といふ文學士が發見しました。それを私が到頭版にするやうになつたのであります。この人の學説なり、その傳記なり、又私がそれに關係した由來をお話すると大體こんなことであります。長くばかりなりましたが、どうぞ
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