お伽噺的のものであつて頗る古典的のものである。支那では漢時代から「賦」といふものがある、此の賦の中には其地方々々の自慢になるものを聚めて、面白い文句を以て書いたものがあるが、足利時代のお伽草紙の樣なものは多く此の賦に相當するものである。彼の「淨瑠璃十二段草紙」等は皆古典的のものであつて、是が徳川時代迄繼續した。そして是が人形芝居や小淨瑠璃に應用されても、矢張り皆この體裁で書くことになつて居た。西鶴の書いたものは此點からいふと、古い型に囚はれず、當時の人の興味を惹く樣に書いたものであるところから、古典的の智識の無いものが讀んでも判ることになつて居る。尤も西鶴の書いたものは、今日から見れば、なか/\判り難いものであるが、當時の俗語や諺や比喩其の他のものを巧に書きこんであつて、當時にしては甚だ囚はれざる解放的のものであつた。さういふものから後になつて義太夫節にかゝる近松の淨瑠璃が出來た。近松門左衞門其の人は古典的と解放的との二つの文學を一人で持つて居るから、當時の時代と文學の傾向がよくわかる。享保以前の近松の淨瑠璃は古典的で、之を時代物といひ、又唐人物といつた彼の國姓爺合戰の如き、其芝居が足
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