大阪の町人と學問
内藤湖南
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【テキスト中に現れる記号について】
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)愈※[#二の字点、1−2−22]
/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)なか/\
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
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大阪の町人の學問については、豫て私の友人幸田成友君などが隨分精細な調べをされて、大阪市史にも載せられて居るから、私が茲に語らんとする所は、大阪の町人と學問との關係について、私一個の考察を申述べるに過ぎない。而も此等の事に關しては、懷徳堂で嘗て山片蟠桃の話をし、この次ぎに富永仲基に關する話をする約束があり、又嘗て土屋元作君が橋本宗吉に關して精しいお話があつて、此等の人々はいづれも大阪の町人學者であるから、茲には唯一般的な大體に亙つた樣な考へを述べて見ようとするものである。
近世の大阪が開けて大都會となり初めたのは、言ふまでもなく豐太閤の時からであるが、豐臣氏は間もなく亡んだから、其後の大阪は徳川幕府の時代に發達した
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