言は公の爲めにして、私に據つて己れが有と爲さず」と言つて居つて、古人が言を立てる、即ち著述をするといふやうなことは公の爲めにするものであつて、一個の私有物とする爲めに、之が自分のものだといふ爲めに立てるのではない。元來は道を明かにするが爲めに、言で以てその目的を明かにし、それから言を十分にする爲めに文といふものを用ひる、その文によつて目的が達せられれば、必ずしもそれが自分の説であると言つて、私有しなくてはならぬといふことはない。で一番初めは著述のない時代、即ち道を現はす器といふものは、政治その他の世の中にありとあらゆる機關によつてのみ現はれて居つたのであるが、その中にそれを著述によつて現はすことになつても、最初の著述はその器を載せ道を明かにする爲めの著述であるから、自分の一個の言を立てる爲めの著述ではないのである。で一人の立言者があつた時に、その道を傳へた後の人は、その立言者の著述の後に直ぐ又附け加へて書いても、前の立言を推し弘める爲めであれば少しも差支ない。後の立言者は前の立言者と一體になつて、さうして之を又後世に傳へて差支ないのである。然るに後世の學者は、それらの古代の著述を見た時
前へ
次へ
全23ページ中10ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
内藤 湖南 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング