く識つて、さうしてその間に所謂成象といふものを自得して、それに模倣するのが即ち教育の道である、と考へて、道の規範に從つて教育するのであるが、この意味から言へば總ての學問が即ち史學でなくてはならんといふことになつて來るのである。只だ茲に後世になつて道なり教なりが、色々多岐に分れて來るといふのは、即ち儒者などの如く、その古來から存してゐる器によつて學んで居りながら、器よりして道を認める所まで思ひを致さないで、只だ故なく前言往行を記憶してゐるだけで、發明する所がない愚昧な一派の者がある。これは即ち孔子のいふ學んで思はざるものである。一方には又古來の前言往行に因らず、器を載せた六經に因らずして、只何んでも自分の心で考へて、自ら是とするやうになる一派の者もある。これは即ち聖人のいふ思うて學ばざるものであつて、それが即ち諸子百家の雜説の因つて來る所である。
以上は章學誠の道と學との因つて來る根本を説明した所であるが、かういふ原理の上に立つて、さうして總ての古來の著述を判斷して行つたのである。それは色々な論文によつて現はれてゐるが、その一つの有名なのは「言公」の論である。章學誠が言ふには、「古人の
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