章學誠の史學
内藤湖南
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)本《もと》になつて、
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「日+斤」、第3水準1−85−14、471−2]
[#…]:返り点
(例)記注有[#二]成法[#一]。
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清朝の乾隆嘉慶の時代は考據の學が全盛を極めた時であつて、經學は勿論史學に於ても考據の大家たる錢大※[#「日+斤」、第3水準1−85−14]・王鳴盛などといふ人が出て、史學の風潮を全く考據に傾けたのであつた。然るにその時代に於て、浙江の紹興府から一人の變つた學者が出た。さうして一代の風潮の間に獨立して、史學を考據の方法に據らずして、全く理論的の考へ方から研究したのである。その人が即ち章學誠である。
この人はその生立ちからして少し普通の學者とは變つて居つた。その幼時には極めて遲鈍であつて、至つて記憶が惡く、十五六歳頃、その父が地方の知縣をして居つて、家庭教師を雇ひ入れて學問をさしたが、僅か數百字の文句を暗誦することにも
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